強硬な麻薬対策を国際社会は非難しているが…

アイスランドが議案提出国となって、国連人権委員会がドゥテルテ政権の麻薬戦争を非難する決議を採択した時は「アイスランドの人々は氷ばかり食べていて、フィリピンの実情など何も知らない」とドゥテルテは言った。前半はジョークだが、後半は事実ともいえるだろう。

北大西洋に位置する人口わずか34万人のアイスランドは、世界で最も治安のいい国と言われている。2001年以降の殺人事件の発生件数は年間平均1.8件だ。フィリピンと人口当たりの発生件数を比べると100分の1以下だ。

人権、人道問題では「命の足し引き」はタブーである。麻薬戦争で超法規的かつ非道に殺された人々の数よりも、殺人事件の犠牲者が減少した数の方が少なければ「良い」わけではない。本来、「超法規的かつ非道な犠牲」はゼロでなければならない。

また、世界的な麻薬対策の潮流は、犯罪として取り締まるよりも常用者への医療支援や更生面で対処する方向に進みつつあることも事実だ。

カルデロン政権下の2006年以降、麻薬戦争を続け、数万人の犠牲者を生んだメキシコでは現在、大麻、コカイン、ヘロインの少量所持は合法化され、取り締まり資金を薬物依存症治療に回す政策を採用している。

これは、コロンビア、ニカラグアなど麻薬戦争を経験した他の中南米諸国や国際社会が近年になって共有しつつある方向性でもある。国際社会のフィリピンにおける麻薬戦争批判の背景には、そのような認識もある。

フィリピン人が何よりも「平和」を望んでいた

しかし、国ごとに事情が違うこともまた事実で、ドゥテルテ政権による麻薬戦争は「ショック療法」としてかなりの成果を上げたことを国民は実感している。

圧倒的多数のフィリピン人が麻薬撲滅政策を支持してきた理由については、人権とともに人間社会が求める重要な価値である平和について考えることで、理解できるようにも思える。

ドゥテルテ政権以前のフィリピンは「平和な社会」ではなかったのだ。

マニラのストリートマーケット
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ノイノイ・アキノ政権時代に年約1万8000人に上っていた殺人事件の犠牲者数は、ロシアが侵攻後の半年間に殺されたウクライナの民間人犠牲者数として報じられている約5000人を年換算で上回る。米軍が1964年のトンキン湾事件以降、1973年のパリ和平協定まで本格介入したベトナム戦争における米兵の戦死者総数は約5万8000人だが、この期間の年平均の米兵死者数をも上回っている。

ノイノイ・アキノ政権時代までのフィリピン社会が、凶悪犯罪者が跋扈ばっこする「戦争状態」にあったと考えれば、フィリピン人が何よりも「平和」を望んでいたことは当然だろう。

厳密に言えば、それは危険な社会と平穏な社会という表現での対比になるが、殺人事件数の飛び抜けた数字を考えれば、戦争と平和という対比にも相当する社会状況にフィリピンは置かれていたのだ。