「いちばん最後に結婚しそうだね」と言われたタイプ

中村さんは札幌市にある藤女子中高で学び、東京の津田塾大に進学した。子どもの頃から学校の先生にあこがれ、英語の先生になるつもりだった。

好奇心が強く、勉強も苦ではなかった。ところが家庭教師をした教え子が、どうしても勉強が苦手なタイプだった。うまく導けず、先生になる夢自体に挫折した。3年生の秋になると、クラスメートが採用の早いテレビ局のアナウンサー職を受け始めた。中村さんも就活を意識し始める。

中村さんは、教師を「1人ずつの種をまき、水をやって育てる仕事」と捉えていた。対するメディアはどうだろうか。「たくさんの種をまき、水をやって、どこかで育つのを期待する仕事」と受け止めた。

するとがぜん興味がわいてきた。アナウンサー学校にも通うなど本気となった。そして、見事に地元北海道のUHB(北海道文化放送)のアナウンサー職に内定を得た。

生真面目で男勝りな性格から、当時大学のクラスメートたちにはこう言われた。

「優子はキャリアを積んでから、私たちの中でいちばん最後に結婚しそうだね。結婚して家庭を持っているイメージがまったく見えない」

別居婚になるぐらいなら…2年であっさり寿退社

2007年4月に22歳で入社し、報道からバラエティーまで幅広い番組を担当した。「嫌なことは特になくて、楽しかった」

ところが、当時交際をしていた夫と結婚を見据える中で、キャリアに対する考えが急変する。

「会社は今は私をチヤホヤしてくれるけど、もっといい子が出てきたらそちらにいく。かたや、東京で働く彼と結婚できるタイミングは今しかない」

10年以上前のことで、別居婚という選択肢もなかった。難関の倍率をくぐり抜けてのアナウンサー職だったが、わずか2年で辞めた。2009年5月末に寿退社して、上京し新婚生活を始め、専業主婦となった。

ほどなく妊娠し、2010年3月、25歳で男女の双子を出産した。

夜は近くに住む義母が入浴の手伝いに来てくれたが、双子の育児は大変だった。そして重大なことに気付いた。

「私、主婦に全然向いてない」

“子どもと家事だけ”の生活にだんだん違和感が

学校の先生を夢見たぐらいだから、「子どもはみんなかわいいと思うタイプ」だった。だからなのだろうか。「ものすごくわが子にコミットしたいと思わないし、実際にできないのです」

中には「息子が彼氏」と明言して溺愛する母親もいるが、中村さんは「息子ラブ」とはならなかった。もちろん、愛情を持って育てているが、ベッタリしたいとは思わない。

それよりも、大学や会社の同期の女性たちがキャリアを重ねていくことに、「取り残された感じを抱きました」