倦怠感、頭痛、不眠など「カゼ」にはない後遺症も
さらに新型コロナには、従来の「カゼ」では経験しない感染後の後遺症の存在という看過できないものがある。倦怠感、気分の落ち込み、思考力低下、頭痛、息切れ、不眠といった症状を呈し、ややもすると精神疾患と誤診されたり、「気のせい」「甘え」などという心ない言葉を職場だけでなく、医療者からも投げつけられたりするケースもあると言われる。
海外の文献では、成人の新型コロナ患者の8人に1人が、この“long COVID”を経験したと発表されているが、本邦ではまだその存在が医療者の間でさえ周知されているとは言いがたい状況だ。
「新型コロナはカゼ」ということにしてしまうと、これらの後遺症で悩む人たちは、まとめて切り捨てられることになる。オミクロンが主流になって以降、軽症で後遺症もなく完治する人が増えてきているとはいえ、感染者が増えれば、それに伴って重症者、死者、後遺症に悩まされる人も増えてくるのは自明だ。この感染性と後遺症の問題を考慮しただけでも、「新型コロナはカゼ」とするのはあまりにも乱暴といえるだろう。
もう1点、「新型コロナはカゼ」として扱うことで、より感染拡大を助長する重要な問題を指摘しておきたい。新型コロナ上陸以前の社会を思い出してみてほしい。
「カゼくらいで休むな」という社会に逆戻りしていいのか
「カゼくらいで会社を休む」という人はいただろうか。インフルエンザならまだしも、高熱ではない、もしくは発熱しても1日で下がってしまうくらいの「カゼ」で1週間も休んでいた人、休めていた人など、ほぼ皆無であったのではなかろうか。
新型コロナ上陸以降、これら「カゼくらいで休むな」「カゼくらいで休んでいられない」という今までの“常識”が大きく変えられ、少しでも具合が悪い人は無理して出勤や登校せず、望むらくは医療機関を受診し検査してきてほしい、という組織が少しずつ増えてきたのではなかろうか。
これらの意識改革と行動変容は、感染症を社会に蔓延させないためには非常に優れており、一見、軽症者をも十分に休ませることから社会経済活動を停滞させるように思われがちだが、こと新型コロナのような非常に感染性の強い感染症では、このような「休ませる」施策によって感染者を増やさない社会こそが、結果として社会経済活動を滞らせることなく維持できる「感染症に強い社会」であるといえるのだ。
コロナ禍によって、せっかくこのような行動変容がもたらされつつあるにもかかわらず、「新型コロナはカゼ」だとして、コロナ禍以前のカゼと同様、症状が軽微な人を休ませることなく一日も早く社会復帰をなどと逆戻ししてしまえば、感染拡大に歯止めが利かなくなることは容易に想像できるであろう。