一方、(1)~(4)が示しているのは、異なる地平における、それぞれ独立した、別個の世界観における説明のスタイルが存在するということである。(1)~(4)の説明を与えている人たちは、それぞれ別べつの納得の流儀をもっていて、互いに譲ることなく、どれかを別のどれかに置き換えたり還元したりすることができない、独立した宇宙の解釈者である。

実際、動物の行動をめぐっては、これらそれぞれ独立した説明の地平を念頭に、「なぜ」に複数通りの回答を与えてきた。

「ホタルはなぜ光るか」「クジャクのオスはなぜ羽を広げて示すか」「渡り鳥はなぜ遠距離を移動するか」「親はなぜ子育てをするか」。これらについて、いずれも(1)~(4)の四通りの回答が伴っている。

どの行動にも「なぜ」に対する説明の方法は複数通りあり、どれも適切である。言い換えれば、説明の地平を事前に確認しておかなければ答えようがないし、回答を一意に定めることは原理的に不可能である。

THIS WAY、THE OTHER WAYと書かれた標識
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一つの原理に基づいた一つの答えを押し付けるべきではない

生物学においてすら、「なぜ」の回答は複数通りあるという例を見てきた。さらに、哲学や倫理学、心理学、宗教などの視点を含めていけば、その説明の地平の数は無数にあると言ってよい。とくに、人文・社会科学における、人間の事象をモノのふるまいに還元して説明するのではない分野においては、その複数性はさらに複雑さを増すことになる。

身近な例を挙げる。研究に携わっている人に対し、「あなたはなぜその研究をするのか」という問いかけがよくなされる。科学のトレーニングを積んだ人であれば、「先行研究がなく、独創的だから」(学術的必要性)という回答が公式見解となる。

しかし、実際の研究活動を見ていると、さまざまな回答を与えうることは明らかである。「個人的に興味がわいたから」(私的動機)、「たまたま適切な調査対象に出会えたから」(環境要因)、「研究を通じて社会貢献できるから」(対外的有用性)、「研究室の指導教員の分野だったから」(研究チームの来歴)、「本を読んでいたら知識が蓄積されたから」(個人の来歴)など、「なぜその研究をするのか」に対する説明の仕方は何通りも存在する。

いずれも「なぜ」に対する適切な回答であり、唯一の回答を選定することはできず、相互に独立した説明の方法となっている。

人文・社会科学の諸課題、たとえば「なぜ戦争が起きるのか」「なぜ円安ドル高になるのか」「なぜ人びとはスポーツに熱中するのか」なども同様で、いかようにも説明の地平を設定でき、それぞれにふさわしい回答を与えることができる。

このような状況において、もし単一の原理での説明を唯一解と指定する認識の姿勢があったならば、それは、特定の世界観と説明の流儀を一方的に選定し、他者に強要している事態に他ならない。