余ったコッペパンと、半分腐ったような脱脂粉乳の給食

日本人のように、これほど短期間のうちに、伝統的な食文化を捨てた民族は、世界史上でもほとんど例がないという。

それほど、この「洋食推進運動」は強烈なものだった。

その結果、食のアメリカ化が一気に進み、学校給食でも、朝鮮戦争で余ったアメリカ産小麦のコッペパンと、牛ですら飲まない、半分腐ったような脱脂粉乳が出された。

大量のコッペパン
写真=iStock.com/chef2323@hotmail.co.uk kevin
「余ったコッペパンと、半分腐ったような脱脂粉乳」が給食に(※写真はイメージです)

筆者はその給食を食べて育った世代で、逆にそれがきっかけで、アメリカの食がイヤになった。

しかし、日本全体としては、「宣伝」の効果によって、伝統的なコメ中心の食文化が一変してしまった。

その結果、このころから、我が国ではコメ消費量の減少が始まった。

消費量が減ると、コメの生産が過剰となり、水田の生産調整が行われはじめる。

これをきっかけに、我が国の農業・農政が、国内で力を失っていったのである。

食を握れば日本を完全にコントロールできる

宇沢うざわ弘文ひろふみ氏といえば、シカゴ大学などアメリカの大学で教鞭きょうべんを取り、「社会的共通資本」を提唱したことでも知られる、日本を代表する経済学者である。

その宇沢氏は、かつてアメリカの友人から、「米国の日本占領政策の2本柱は、①米国車を買わせる、②日本農業を米国農業と競争不能にして余剰農産物を買わせる」というものだと聞いたと述懐じゅっかいしている。