アリストテレスの「著作」は消失してしまった
文藝や哲学思想の「古典」についても、同じことが言えよう。古代ギリシアの著作であれば、たとえばホメロス(前8世紀頃)やプラトン(前427―347年)の「不朽の価値」を、われわれはたたえる。しかし、これらの作品もけっしてあらゆる時代を通じて愛好尊重され続けてきたわけではない。むしろ、きわめて危うい伝承事情の偶然にまかされて、辛うじて今日まで伝えられてきたのである。
実際、すぐれたギリシア古典のどれほど多くが歴史の淘汰の過程で滅失したことか。事情を哲学分野に限ってみても、まず間違いなく書かれた著作のすべてが伝存しているプラトンのような場合は、きわめてまれな例外としなければならない。他には、新プラトン主義者のプロティノス(後205―270年頃)のケースがあるだけであろう。
アリストテレス(前384―322年)の哲学書として今日伝えられているものは、分量的にはプラトンを凌駕するほどだが、それらはすべて、実は彼の講義草稿のたぐいを纏めたもので(それだから文献的価値が低いというわけではないが)、比較的若いころに多数書かれて公刊された文字通りの「著作」は、古代ギリシア文化の衰退とともに消失した。
辛うじて歴史を生き抜いてきた古典
また、他にもほとんど無数の哲学者たちがいたし、プラトンやアリストテレス以上に大量の著作を残した思想家も多い。古代原子論の大成者デモクリトス(前5世紀)やストア派のポセイドニオス(前135頃―前50年頃)には、それぞれ200巻以上にも上る著述があったが、やはりすべて滅失し、他の著作家たちが引用しているわずかな断片章句が伝えられているだけである。
さしあたり強調しておきたいのは、古典とは、少なくともギリシア・ローマの古典とは、確固たる規範として維持存続されてきたものではなく、むしろ激しい毀誉褒貶にさらされつつ、辛うじて歴史を生き抜き、いくつかの時代の岐路において新たに発見されながら、それぞれの時代状況に拮抗しうる力を示現してきたものだ、ということである。
それが古典と呼ばれる所以は、むしろその多面性、重層性にあり、いまなお汲み尽くされることのない、多様な深い意味の可能性を内に湛えたマトリックスでありつづけているところにこそあるだろう。