古代ギリシアにおける哲学の本流とは
事情を、プラトンに即して、さらに見ておきたい。――われわれにとっては意外にも思われようが、おそらくプラトンは(そしてアリストテレスも同様だが)、古代ギリシアにおいては、ついに哲学の本流に位置することはなかった、と言ってもいいのではあるまいか。むしろ1100年間にわたるギリシア哲学の歴史は、基本的に、彼ら以前の初期哲学(いわゆるソクラテス以前の哲学)の展開に終始したと見ることができよう。
それは、大まかに言えば、宇宙世界がどのように形成され、現にどのようにあるかの洞察を第一義とし、それを踏まえることで人間の生の意味と運命を見通そうとする共通の図式を骨格とした哲学であった。比較的残された断片量の多いヘラクレイトスやエンペドクレスなどについては、その全体構想をよくうかがうことができる。
われわれの通念的な了解によれば、ギリシア哲学はソクラテスの決定的影響のもとに、プラトンおよびアリストテレスによって大成されたのであり、彼ら以降のヘレニズムの哲学は古典的完成からの拡散と矮小化の過程と位置づけられる。
しかし、(すでに別の機会にも述べたことだが)実際にはむしろ二人の大哲学者を置き去りにするようにして、ヘレニズム時代はふたたび初期以来の「本来の」ギリシア哲学に立ち返っているのである。
二人の大哲学者が受け入れられなかった理由
この時代を代表するストア派やエピクロス派は、個人中心の倫理学に焦点をしぼりながらも、一面においては、ソクラテス以前の哲学の宇宙論的体質をきわめて強く受け継いでいる。
言うまでもなく、ストア派の祖ゼノン(前334―262年)やエピクロス(前341―270年)は、イオニア哲学の風土の中に生い立った人たちであり、アテナイの新しい哲学動向の洗礼を受けたのちも、それぞれにヘラクレイトス思想やアトミズム(古代原子論)の旗幟を鮮明にかかげ、それらを哲学の基盤としたのである。それは個々の教説についての継承や転用の問題ではない。踏襲されているのは、思考の骨格とスタイルである。
プラトンやアリストテレスの没後、ギリシア世界でも、彼らの哲学が長く振るわなかったことはまぎれもない。おそらく、あまりにも新しすぎた知のパラダイムとして、それらはすぐには時代に受け入れられなかったのであろう。