議員秘書時代は関係団体と懇意にしていた
9月27日は、「安倍総理晴れ」と言いたくなるような秋晴れでした。安倍晋三元総理の国葬については、いろいろな意見や批判もありました。しかし日本の総理として最長の在任期間8年8カ月の功績を、素直に称えるべきだと私は思います。
粛々と国葬を執り行ったことには、テロや暴力に毅然として立ち向かう日本の姿勢を、内外に示す意味もあったと考えます。
私が秘書としてお仕えした中川一郎先生は、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の関連団体である国際勝共連合と懇意にしていました。中川先生は、日本の社会を共産主義にしてはいけないという強い決意と覚悟をもっていましたから、反共という目的が一致したのです。中川先生と志を同じくする石原慎太郎さんや渡辺美智雄さんと一緒に、昭和48年に結成した政策集団「青嵐会」は、右翼だのタカ派集団だのといわれたものです。青嵐会のメンバーも、反共という価値観を勝共連合と共有していたんです。
ですから中川先生の事務所には、勝共連合や統一教会系の新聞・世界日報の人たちがよく出入りしていました。いつも親切に対応したのは私です。ところが中川一郎先生亡きあと、それらの人は息子の昭一さんのほうへなびいていきました。詳しくは言いませんが、私を人とも思わぬようなひどい扱いもされました。
鈴木宗男事件を経て私が参議院議員に復帰してから、彼らは接近してきました。私も反共ですから、勝共連合にすれば使い勝手がよかったはずです。しかし過去の経緯があるので、相手にしませんでした。縁がなくなってよかったと、いまは思っています。
「祝電を打ったから」で糾弾するのはいかがなものか
ひと口に宗教といっても、いろいろあります。私はごく普通の宗教団体と、社会通念上認められないような悪徳商法を、一緒に議論してはいかんと思います。国が認めた宗教法人として活動していることは、認めなければいけません。ただし、その宗教法人が霊感商法などのあるまじき行為をやっているのなら、その部分を法律できちっと処理することです。信仰とは別の問題のはずだからです。
信仰の自由は憲法で認められているのですから、誰しも口が挟める話ではありません。信仰と社会的な問題の間に、きっちり線を引いて議論すべきです。
政治家が反社会的な団体や行為に加担することは、あってはなりません。しかし最近の風潮は、霊感商法の片棒を担いだというならともかく、祝電を打ったくらいで糾弾する。これは、いきすぎではないでしょうか。