「2人で銀座の焼き鳥屋に行き、あなたを口説きました」
「7月の8日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で同じ空気を共にしたい。その一心で現地に向かい、そしてあなたならではのあたたかなほほえみに、最後の一瞬接することができました」
そして、その悲劇から、今に至るまでの時の流れの無常さを、日本人らしいどこか俳句的な情景の描写で表現する。
「あの運命の日から80日がたってしまいました。あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつのまにか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。」
全体を通じて、印象に残るのが、安倍氏へのほとばしり出る思いだ。普段、あまり感情を表さず、自分の弱さなどをさらけ出すことがない菅氏だが、「許せない」「悔しい」「悲しみ」「怒り」「うれしい」「誇らしい」「幸せ」「寂しさ」といったように、一切の抑制をかけずに、その感情をぶちまけた。
「あなたは一度持病が悪くなって総理の座を退きました。そのことを負い目に思って2度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。最後には2人で銀座の焼き鳥屋に行き、私は一生懸命あなたを口説きました。それが使命だと思ったからです。3時間後には、ようやく首を縦に振ってくれた。私はこのことを菅義偉、生涯最大の達成としていつまでも誇らしく思うであろうと思います」
最初の出会いで交わした会話の詳細な記述や、安倍氏に2度目の総裁選の出馬を促す際のエピソードなど、本人の個人的エピソードがふんだんに織り込まれていた。「焼き鳥屋」「3時間後」といったディテールや、繰り返し、「『日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ』と言う口癖」といったやや演劇調の言葉遣いは安倍氏の海外での情感のこもったスピーチでよく使われたレトリックでもある。
そして、クライマックスが、
「衆院第1議員会館1212号室のあなたの机には読みかけの本が1冊ありました。岡義武著『山県有朋』です。ここまで読んだという最後のページは端を折ってありました。そしてそのページにはマーカーペンで線を引いたところがありました。
印をつけた箇所にあったのは、いみじくも山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌でありました。いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」
という下りだ。