「そこに愛はあるんか」追悼文の格差はこれに尽きる
「かたりあひて」の一文はあえて、繰り返している。安倍氏との深い仲だからこそ、知りえた、出来過ぎとも言えるエピソードだ。
菅氏の決して流暢ではないが、とつとつと情感を込め、時折感極まって、声を詰まらせるシーンも、周囲の涙を誘った。
スピーチ中の「天はなぜよりにもよってこのような悲劇を現実にし、命を失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか」という言葉には、「安倍氏だけが、命を失ってはならず、ほかの人の命はどうでもいいのか」と違和感を覚えた人もいたが、これは、菅氏にとっては、まるで家族のように「愛していた」人を失った悲しみ故の「行き過ぎた」表現だったのかもしれない。
菅氏の追悼の辞は、まさに「女房役」として、支え続けた人への最後の「恋文」だった。
「そこに愛はあるんか」
岸田氏と菅氏の追悼の言葉の重みの隔たりはそこに尽きるのではないだろうか。