なぜ人は不安や苦しみから逃れることができないのか。曹洞宗僧侶で経営コンサルタントの島津清彦さんは「不安やストレス、恐れや怒りや苦しみなど、およそ人間が感じる苦悩は、自分への執着によって生じている。その執着を減らすには、禅の言葉が役に立つ」という――。

※本稿は、島津清彦『元上場企業社長の「禅僧」に、今の時代の悩みをぶつけてみた。心が回復する禅問答』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

香川県三豊市で撮影された禅僧
写真=iStock.com/SAND555
※写真はイメージです

不安や苦しみをもたらす犯人は「自分への執着」

いま、仕事や生活上のストレスから、精神的に疲れてしまう人が増えているようです。例えば、上司と反りが合わなくて毎日仕事がつらかったり、パートナーとの関係がうまくいかなかったり。

そんなときに、新型コロナウイルスのパンデミックがやって来て、かれこれ数年続いています。先がなかなか見通せないときは、不安が募って気持ちが落ち込むのも無理はないでしょう。

そのつらい不安の正体は、いったいなんでしょうか?

実は、あなたがいま抱えている不安の正体は、ひとことでいうと「執着」です。

不安やストレスのほか、恐れや怒りや苦しみなど、およそ人間が感じる苦悩を、禅では執着によって生じていると考えます。

では、なんの執着かといえば、それは「我執がしゅう」と呼ばれる「自分への執着」です。自分への執着が強くなればなるほど、不安や苦しみが大きくなってストレスも増していきます。

生きていること自体が修行である

高価なものを追い求めれば追い求めるほど、他人と比べて心がざわついてしまいます。

住む家があり年収もそこそこ、いい車にも乗っているのに、なぜか心が満たされない。

物質的に満たされていても、そこに心の平穏はなく、むしろ苦しみが少しずつ増していきます。

家族や友人との関係がおかしくなったり、トラブルが降りかかったりするたびに、不安や猜疑心といったストレスにさいなまれ続けるようにもなります。

やがて、他人や身のまわりのものを常に恐れるようになってしまう……。

禅の観点でいうと、それらの正体はすべて、自分への執着というわけです。

残念ながら、執着がまったくない完璧な人間などいません。わたしも毎日修行を続けていますが、まだ執着にとらわれていると感じます。

もちろん坐禅をしたり、禅の考え方を学び実践したりすることで、執着は確実に減っていきます。これは、はっきりといえることです。

しかし、完全になくすことはなかなか難しい。だから、むしろこう考えたほうがいいのではないでしょうか?

わたしたちは、「生きていること自体が修行なのだ」と。「死ぬまで修行は続くのだ」と。