リンカーン大統領暗殺後も要人警護システムは確立されなかった

——3人の大統領が暗殺されて初めて、シークレットサービスによる要人警護システムが本格化したとは驚きです。

ほとんど知られていない事実ですが、リンカーン大統領はシークレットサービスの創設を命じる文書への署名後間もなく、凶弾に倒れました。大統領が死去したとき、その文書は彼のデスクの上にあったのです。

ですが、リンカーン大統領の暗殺後も、シークレットサービスが大統領警護に当たることはありませんでした。

1865年4月14日夜、エイブラハム・リンカーン大統領を暗殺し、ワシントンD.C.のフォード劇場を脱出する、南軍のシンパであり名優だったジョン・ウィルクス・ブースを描いたイラスト
写真=iStock.com/Keith Lance
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3人の大統領暗殺を受けて、ようやく要人警護システムが確立

そうした状況に変化が訪れたのは、1901年のマッキンリー大統領暗殺後です。3人の大統領が暗殺されたことで、マッキンリーの後を引き継いだセオドア・ルーズベルト第26代大統領(共和党)が暗殺への懸念を深め、シークレットサービスが正式に大統領の完全警護も行うようになりました。

とはいえ、セオドア・ルーズベルト大統領も、1909年の任期終了後、暗殺未遂事件に遭っています。演説中、胸を撃たれたのですが、彼は非常に頑強な人物だったため、そのまま話し続けました。胸ポケットの分厚いスピーチ原稿が銃弾の貫通を阻んだからです。当時はまだ、彼でさえ、警護にさほど神経を使っていませんでした。

注:セオドア・ルーズベルト氏は1909年に大統領の任期を終えた後、1912年の大統領選・共和党予備選に出馬したが、現職のウィリアム・タフト第27代大統領(共和党)に敗れ、「革新党」を結成。1912年秋、遊説先の中西部ウィスコンシン州ミルウォーキーで銃撃されたが、胸ポケットに入っていた何十ページものスピーチ原稿とスチール製眼鏡ケースのおかげで、致命傷を回避。「私が今、撃たれたことにお気づきかどうかわかりませんが……」と聴衆に呼び掛け、演説を続けた。

また、フランクリン・ルーズベルト第32代大統領(民主党)は就任前、暗殺未遂事件に見舞われています。

注:1932年11月の大統領選で当選したルーズベルト氏は1933年2月、次期大統領として、東部フロリダ州マイアミの公園で演説。だが、演説を行った直後に男が発砲。同氏は難を逃れたが、シカゴ市長が致命傷を負い、死亡した。

ハリー・トルーマン第33代大統領(民主党)も1950年11月、危うく暗殺されそうになりました。

トルーマン大統領が、大統領のゲストハウスである「ブレアハウス」に居たとき、プエルトリコの急進派ナショナリストである2人の暗殺犯が大統領を急襲しようとしたのです。シークレットサービスや警官らが激しい撃ち合いの末に暗殺を食い止め、トルーマン大統領は無事でしたが。