この上ない多幸感に包まれて苦痛が緩和される
同じ年、子牛の脳を調べていたアメリカの科学者が、やはり似たような物質を発見した。
豚と子牛から発見された未知の物質は互いに分子構造が似ていたため、どちらも「自家製のモルヒネ」だという結論が下された。
人間の身体にも存在するこの物質は、体内で合成されることから「体内性モルヒネ(エンドジーナス・モルフィン)」と名づけられ、名称は略されて「エンドルフィン」と呼ばれるようになる。
エンドルフィンには、モルヒネと同じように目覚ましい鎮痛作用がある。そしてモルヒネと同じように多幸感をもたらす。
だが、なぜ脳がみずからにそんな物質を与えるのか。なぜ体内には、そのようなメカニズムがあるのか。また、脳はどんなときにその物質を放出するのか。それは、人間が薬品や麻薬を使うことなく苦痛を消し、同時に多幸感を得ることが必要な環境と関係がある。
アメリカ人の長距離ランナー、ジェイムズ・フィックスは、ベストセラーとなった著書『奇蹟のランニング』(クイックフォックス社、1978年)のなかで、その体験を語っている。
彼は長距離を走ったときに、何度かこの上ない多幸感に包まれて苦痛が緩和されたというのだ。フィックスは、それを「ランナーズハイ」と呼んだ。
だが、その「ランナーズハイ」を体験していたのは彼1人ではなかった。有酸素運動のスポーツのアスリートたちが、同じ体験をしたことを次々に明かしたのである。
モルヒネでもたらされる高揚感と酷似
ジェイムズ・フィックスの著書は、1970年代のマラソンブームのさなかに出版された。「ランナーズハイ」という言葉はたちまち流行語となり、エンドルフィンという新たに発見された物質が、その効果をもたらす張本人だという話が広く知れわたった。
いまや「ランナーズハイ」という言葉を知らないランナーはまずいないが、実際にそれを体験した人はさほど多くない。その感覚は並外れたもので、いくらか爽快だという程度ではない。
運動が私たちの精神におよぼす様々な影響のなかで、「ランナーズハイ」は群を抜いて強烈な感覚なのである。
私自身は二度、体験している。それは魔法としかいいようがなかった。運動を終えたときに感じる爽やかな達成感とは完全に違う。
あらゆる苦痛が消え去り、この上ない幸福感に包まれ、頭のなかは冴えわたり、疾風のように速く、どこまでも永遠に走っていられるような気分になるのだ。その感覚はあまりにも鮮烈なので、一度経験したら忘れられない。
もし自分が感じているものがランナーズハイといえるのかどうか確信が持てなければ、それはおそらくランナーズハイではない。
ランナーズハイはモルヒネでもたらされる高揚感と酷似しているため、理論上はエンドルフィンがその要因だといえる。