「すべてバス転換」が合理的なわけではない
実はローカル線問題は100年にわたって議論されてきた。鉄道官僚の木下淑夫は1923年、ローカル線の過剰な建設は国民負担を増大させる危険があり、小規模輸送は需要に柔軟に対応できるバスを活用すべきと提言した。戦後も国鉄総裁の諮問機関である日本国有鉄道諮問委員会が1968年、採算のとれないローカル線83線区をバスに転換すべきと勧告した。
この時は地元の反対が強くほとんど実現しなかったが、国鉄の経営が破綻すると、1980年に制定された国鉄再建法の下で、輸送密度4000人/日を下回る83路線を「鉄道としての使命」を終えた「特定地方交通線」に指定して、45路線を廃止、38路線を地元自治体が出資する第3セクター等に経営移管した。
ただし輸送密度4000人/日未満の路線すべてが廃止されたわけではない。最混雑時にバスで運び切れない規模の利用がある(赤字であってもバスより効率的)、代替道路が整備されていないなどいくつかの除外規定を満たす51路線は廃止されずにJRに引き継がれた。
これら路線の多くは、道路整備、利用減などで除外規定を満たさなくなっても存続した。JRが維持可能な範囲で不採算ローカル線を含む鉄道ネットワークを国鉄から継承した経緯を踏まえ、安易な廃線は認めないという立場を国がとってきたからだ。
見て見ぬふりしてきた矢先にコロナ禍が直撃
実際、JRは好調な大都市圏、新幹線で赤字を十分埋められたため、国や自治体と対立してまでローカル線に手を入れる必要はなかったが、かといって競争力の回復に取り組む意欲もなかった。こうして事業者も国も自治体も、ローカル線問題を見て見ぬふりをしてきたまま迎えたのがコロナ禍であった。
国土交通省が今年2月に設置した「鉄道事業者と地域の協議による地域モビリティの刷新に関する検討会」は「ローカル鉄道における利用者の減少は、新型コロナウイルス感染症の拡大以前から、人口減少、少子化の進展、モータリゼーションを前提としたライフスタイルや都市構造の変化等により、相当程度進行していたにもかかわらず、危機認識が広く共有されてこなかった」と指摘する。その上で、以下のように提言する。