学者たちのスローガンに違和感

日本の学者たちは、公共哲学をめぐる議論のなかで、2000年の初めに「活私開公」というスローガンを掲げるに至った。従来の滅私奉公に対して、むしろ自分を活かすことで公を開くというウインウインの関係を目指すためである。

しかし、私はどうしてもこのスローガンが引っ掛かっていた。なぜなら、自分を活かすことが主になると、いくら公を開くといっても、それが、おこぼれのようになってしまいかねないと感じたからだ。

何事も、面白いからやるという人が多いが、その結果、社会の役に立てばいいと考えている程度だと、失敗したときは、社会になんのメリットももたらさない。かえって有害なことさえあるだろう。

公共哲学においては、あくまで公を開くことが主目的でなくてはいけない。だから私は、先のスローガンの前後をひっくり返して、むしろ「開公活私」であるべきだと唱えたのだ。公を開くために私を活かす。それが田口のいうソーシャルビジネスの思想と重なるわけである。

常に公益を考えて行動する

これからは、ビジネスに限らず、あらゆる生き方がそうした「開公活私」的なものでなければならないと考える。

現にSDGsとはそういう発想である。ビジネスでも日常生活においても、私たちは常に社会のこと、公益を考えて行動しなければならない。そういう時代を生きているのだ。

考えてみれば、私たち一人ひとりの活動は皆、誰かにつながっている。だからなにをしても、他者に影響を与えてしまうのだ。そのことを意識していれば、利己的になるのを防げるのではないだろうか。