「万引きをやめられない人」への取材で見えてきたこと

患者さんにも話を聞かせてもらった。赤城高原ホスピタルに足を運んだ際に会い、いいと言ってくれた人にはあらためて連絡し、東京都内などで再び会う形が中心になった。最終的に20代から60代まで10人余りの男女に会い、それまでの万引き、クレプトマニアの治療、人によっては過去の万引きに伴う裁判や刑務所での経験を話してもらった。

裁判が進行中の人も複数いて、その審理を傍聴する機会もあった。東京・霞が関にある東京簡易裁判所は、東京地方裁判所、高等裁判所と同じ建物にある。それまでもオウム真理教事件の裁判など注目を集める裁判や、裁判員裁判などの取材で何度も足を運んだ建物の一角で、常習累犯窃盗の裁判が日々たんたんと行われていたことを実感した。

万引きをやめられない人の問題は、医療と司法の狭間に落ち込んでいた側面もあったかもしれない。関心をもつ医師や弁護士がつながり、光が当てられていった時期でもあった。そうした専門家の取材をもとに、「ルポルタージュ現在 万引きという病」という見出しの記事(2013(平成25)年1月8日付、朝日新聞社会面)をまとめた。

クレプトマニアの当事者を取材することに伴う課題は少なくない。今回は、医師の紹介によるもので、対象者は取材が治療の妨げにならず、本人も取材を受け入れるだろうと医師が判断した人に限られる。当事者に対しては医師や医療機関とは独立した取材だと伝えたが、例えば話した内容が医師に伝わるのではないかといった懸念から、記者に率直に話していない可能性も否定はできない。

「なぜ万引きするのか」に対する答えは人それぞれ

記事にする段階でも制約はある。自分とクレプトマニアのかかわりについて最も近い家族以外には口外していない当事者がほとんどで、「記者に話すのはいいが、記事にはしてほしくない」「自分と特定される書き方は絶対に避けてほしい」という気持ちが強い。

クレプトマニアと向き合い、人生を立て直している当事者に、記事によって不都合をもたらすわけにはいかない。そのような制約はあっても、当事者の話に耳を傾ける意義は大きかった。

クレプトマニアはいまだ社会で広く認知されているとはいえない。当事者の話は、人知れず悩んでいる当事者かもしれない人たちの助けになるはずだし、人々にこのような問題があると気づかせる力があると感じた。当事者への取材を重ねても、クレプトマニアとはこうだ、とまとめる気持ちにはならなかった。むしろ、聞けば聞くほど、どんな経緯で万引きするようになったか、そのときの気持ち、なぜやめられないのか、といった事情は人によると感じるようになった。

なぜ万引きするのかという問いに、「この品物のために自分のお金を使いたくない」という気持ちが強い人もいれば、万引きするときのスリル、誰にも見つからなかったという成功感をあげる人もいる。盗んだものをすぐ食べる、使うという人がいた一方で、さわりもしないで押し入れに入れたままという人もいた。