最初は相手に耳あたりのよい話題を持ち出すのが基本ですが、人によっては、相手が嫌がる話題や悪い話をガツンとぶつけ、追い詰めてしまったほうがよい場合もあります。最初から頭ごなしに「あんたの生き方は全然ダメだ! いったい何をやっているんだ!」と怒鳴りつけたら、かえって強く信頼される場合もあるというわけです。

つまりマインド・コントロールには、もともと対人カウンセリング的な要素があり、相手によってやり方が異なります。逆にいうと、マインド・コントロールに長けた人物は、この相手にはどのやり方が効くかをいち早く見抜く力があるのです。

ですから、マインド・コントロールの被害者がどんなマインド・コントロールのテクニックを用いられたのかは、最終的には本人に聞いてみなければわかりません。どの手法が使われるかは、被害者の性格によっても、また被害者の考え方や気分の浮き沈みによっても異なります。

相手の状態と使った手法がうまくマッチしたときは、マインド・コントロールがどんどん深まってしまいます。

カルト集団から抜けられなくなる根本原因

問題のあるマインド・コントロールを駆使されたときに生じる典型的な感情は、「強迫観念」と「依存心」です。

先ほど紹介した心理的テクニックの結果、詐欺同然の買い物をさせられてしまうだけの人もいれば、さらに進んでカルト的な集団にはまって抜け出せなくなってしまう人もいます。両者を分けるポイントは強迫観念と依存心だ、ともいえるでしょう。

手をつないで一緒に祈る人たち
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強迫観念は、マインド・コントロールを、「心理的委縮」でなく「行動原理」につなげるために、なくてはならないものです。たとえば熱心な教育ママの子は「勉強しなければ。いい大学に入らなければ」が強迫観念になります。

読者のなかにも「いい大学へ入らなければ、父さんのようになっちゃうよ。ずっと安月給でいいの?」なんて四六時中お子さんにいっているお母さんは、いませんか。

ほどほどにしてほしいと思いますが、人間というものは、ある程度の強迫観念的な考えがなければ、行動を持続させるのが、なかなか難しいことも事実です。勉強でも仕事でもスポーツでもそうで、ただ楽観的なだけではうまくいかないでしょう。

試験に落ちたらどうしよう、係長になれなかったらどうしよう、県の選抜選手に選ばれなかったらどうしようといった不安な思いは、人を努力させるエンジンのような働きをします。だから、強迫観念的な考えを、一概に不健全と決めつけることはできません。

わざわざ悩み事をつくり、不安や恐怖を煽る

病的な強迫観念はまた別です。不合理で意味のないような観念に悩まされ、それを振り払うため強迫行為と呼ばれる行動(たとえば繰り返し手を洗う、しきりと机上の物の位置を直すなど)を繰り返し、強迫性障害という精神疾患と診断される場合もあります。

そこまでいかないにせよ、カルト的な団体などのマインド・コントロールでは、相手に強迫的な観念を植えつけようとする例が頻繁に見られます。

正確にいうと、その人の強迫観念になりそうなものを見つけて、より強い強迫観念になるように仕向けます。それが見つからないときは、外から植えつけるわけです。