戦争捕虜救出作戦に向かった工作員の最期

そういう中で8月15日に日本が降伏し、バーチは連合軍の戦争捕虜救出作戦の一環として、江蘇省経由で山東省に行くよう命じられます。8月20日、バーチのチームは徐州経由で山東省に入りました。任務の一つとして、バーチは、汪精衛政権の淮海県主席兼守備隊司令官の郝鵬挙との接触を命じられていました(OSS, pp.236-237)。

江崎道朗監修、山内智恵子著『インテリジェンスで読む日中戦争』(ワニブックス)
江崎道朗監修、山内智恵子著『インテリジェンスで読む日中戦争』(ワニブックス)

実は、郝鵬挙の指揮下にある4人の師団長のうちの2人と幕僚のほとんどが、何年も前から中共の秘密工作員で、1942年以来、中共が淮海司令部をコントロールしていました。また、郝鵬挙は蒋介石の任命を受けて第六路軍の司令官となったのですが(正式発令は1945年9月)、この第六路軍も隅々まで中共に浸透されていました。

バーチ一行が出発した頃、中共は、第六路軍を引き連れて中共軍に加わるよう、郝鵬挙を説き伏せようとしている最中でした。バーチ一行の来訪に協力するよう命じる公電が郝鹏举に届くと、中共の情報機関が傍受し、なんとしても一行を阻止するべく活発に捜索を始めます。そして8月25日、バーチら一行は黄口駅で中共軍に武装解除を命じられ、バーチは左腿を銃で打たれ、縛り上げて引きずられた末、銃剣で刺殺されます。

後日行われた米軍の現場調査の報告によると、身元がわからないように銃剣で切り刻まれた顔面は、2本あった義歯すら失われてほとんど骨しか残っておらず、喉は耳から耳まで、刃物で切られたか、あるいは、側面からダムダム弾で撃たれたようにぱっくり開いていました(OSS, pp.237-239)。

中共と友好的関係を持てるという幻想は吹き飛んだ

ウェデマイヤーは8月30日、重慶を訪れていた毛沢東と周恩来に、バーチ事件とスパニエル・チームの拘束事件について強硬に抗議しました。周恩来はその席で、スパニエル・チームの解放に同意しました。ところが、この会談の翌日に中共は、OSSが直隷省(ほぼ現在の河北省にあたる)に派遣した別のチームを拘束しています。OSSは組織をあげて行方を捜索し、国民政府の情報機関「軍統」のリーダー戴笠や、降伏した日本の憲兵らにも情報を求めました。中共が直隷チームの解放に応じたのは、9月後半にOSSがようやく所在を突き止めてからのことです(OSS, pp.240-241)。

戦争末期、OSSは、日本と激しく戦っていたという中共軍の主張が嘘だったことを認識しました。そして、スパニエル事件、ジョン・バーチ殺害事件、直隷チーム拘束事件の3つの事件によって、中共と協力して情報工作を行うことが可能だとか、中共と友好的関係が持てるといった幻想も根こそぎ吹き飛んでしまいました。

※本文中の(p. XX)は『The Dragon's War : Allied Operations and the Fate of China 1937-1947[龍の戦争――連合軍の作戦と中国の運命 1937~1947年]』(Naval Institute Press, 2006, 未邦訳)の参照箇所を指す
※本文中の(OSS, p, XX)は『OSS in China: Prelude to Cold War[中国のOSS――冷戦の序曲]』(Yale University Press, 1997, 未邦訳)の参照箇所を指す

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