社会から孤立したシングルマザーが、幼い我が子を置き去りにして死なせてしまう。そんなやるせない事件は、なぜ後を絶たないのか。文筆家の御田寺圭さんは「無残としかいいようがない帰結がもたらされたのは、『社会的機能不全』ではない。逆である。大勢の期待するとおりにこの社会が正常運転していたからこそ、この結末が導かれた」という――。

※本稿は、御田寺圭『ただしさに殺されないために』(大和書房)の一部を再編集したものです。

赤ちゃんの手
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出生届が出されないままの短い命

生まれて間もない命が、だれにも知られずひっそりと消えた。

消えてから、人びとはその命がこの世にあったことを知った。

東京都台東区のマンションで7月、生後3カ月の女児が母親に自宅に置き去りにされ、亡くなった。出生届が出されないままの短い命だった。母親は、父親が誰か分からない女児を自宅で産んで育てようとしたが、子どもがいることを周囲に打ち明けられず、孤立を深めていた。
誰にも知られず3カ月で消えた命 父不明、トイレ出産、出生届もなく…孤立した母」毎日新聞デジタル、2020年8月22日

母親が幼い子どもを死なせるニュースが流れるたび、世間は悲嘆にくれる。

私たちの暮らす社会は、こんなにもむごく、冷たく、貧しく、醜くなり果ててしまったのかとため息をつく。父親もわからず、母親からも望まれず、だれにも祝福されないまま消える命。現代社会の人びとは、すべてが手遅れになってしまってから知らされる。なすすべなく見送るほかない。やるせなさ、はがゆさ、腹立たしさ、さまざまな感情が入り交じり、人びとの心を搔きむしる。

母親に同情的だったSNS

都会の片隅で乳児がこの世を去った直後、インターネットではにわかに母親への擁護論が起こっていた。最終的に死なせてしまったのは母親だが、だからといって母親だけが加害者として逮捕され、そして罪に問われるのは、甚だ不条理きわまることだとして。

「父親にも責任があるのだから、彼女だけが罪に問われるのはおかしい」「この人もつらかっただろうに」「シングルマザーが子どもを育てやすい社会にしなければ」など、ニュースサイトやSNSでこの報せを見た人びとからは同情的なコメントが数多く寄せられた。