1989年の天安門事件のわずか3日後の6月7日、北京にある日本の外交官のアパートが中国人民解放軍によって銃撃されるという事件があった。日本は中国政府に抗議したが、中国の反論に遭った日本は“弱腰すぎる”対応に終始した。北海道大学大学院の城山英巳教授の著書『天安門ファイル 極秘記録から読み解く日本外交の「失敗」』(中央公論新社)より、一部を紹介しよう――。
天安門事件の3日後に北京の外交官アパートが銃撃された
防衛駐在官(武官)の笠原直樹はその時、北京のメーンストリート・長安街に面した外交官アパート「斉家園外交公寓」の自宅にいた。
「お父さん、解放軍が通るよ」。子供が呼んだ。
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