※本稿は、齋藤孝『孤独を生きる』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
抗いようのない“老い”という現実
残念なことに、40歳を過ぎると、とくに男性は総じてモテなくなります。容色の衰えもあるし、気持ち的にも若々しくエネルギッシュな魅力が減退するのでしょう。
最近流行りの『明日、私は誰かのカノジョ』(をのひなお)というマンガでも、おじさんはどうにもならない存在に描かれています。このマンガには、“レンタル彼女”やパパ活をする女子大生、美容整形に大枚はたくアラフォー女性、ホスト通いする女性などが登場し、さまざまな男たちと“ほろ苦ラブストーリー”を展開します。
なのでおじさんだけを槍玉にあげているわけではないのですが、たとえば“レンタル彼女”の女性がおじさんと食事をしながら、ぼんやり「おじさんって、やっぱり肌が汚いんだ」などと思っている場面を読むと、溜息とともに「そうだよねぇ」と妙に納得してしまいます。
中高年の域に達した男にとっては、こればかりはもう抗いようもない現実と言っていいでしょう。程度の差こそあれ、誰もが老いの兆しを実感しているはずです。男性だけではなく、女性だって多少はありますよね。認めたくないかもしれませんが、「若いときほどは肌にハリがない」のが現実でしょう。
40代後半から60歳前後までは「人生の解放期」
しかし、そう悲観することはありません。
同年代のみんなが同じように衰えていくのです。それはつまり、若いころにあれほど大騒ぎしていた「モテる・モテない」問題から解放される、ということです。
「もはや、モテようが、モテなかろうが、どうでもいい」
そう達観した瞬間、思うように異性に相手にされないことにより生じる孤独問題からも解放されます。そういう意味では、40代後半から60歳前後までは、人生のなかでも孤独感に苦しめられることの少ない「解放期」という見方ができます。
もっとも、若いときに大変モテた方は、モテないことの孤独を初めて味わうかもしれません。とくに男性の場合、かつて容姿に恵まれていても、お金がなければまったく相手にされない、という状況に陥ることもありますからね。
その種のショックを受けずにすむよう、“過去の栄光”は引きずらず、常に「年齢なりの自分」を直視することを心がけましょう。