※本稿は、柴田昌治『日本的「勤勉」のワナ』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
考えているようで、実は考えられていない人は多い
令和の今、日本企業の現場では、「思考停止」に陥っていることが問題だと言われ始めています。しかし実は、思考停止と言っても何も考えていないわけではありません。
その意味するところを正確にお伝えするには、ここで言う思考とはそもそも何を意味するのか、をはっきりさせておく必要があります。
思考力というのは、本当の意味での「考える力」のことであり、思考を要する「問い」に対して向き合っていくことができる力、とも言えます。
そういう意味では、思考を必要としない、言い換えれば、思考が停止したままでも答えを得ることが可能な問いもあるのです。たとえば、単に持っている知識の中から選ぶ、もしくはネットで検索して選び出すだけで答えを得ることが可能な問いです。
「○○という国の首都はどこですか」という問いに答えるには、思い出すか、検索をすればいいわけです。そこであれこれ思考をめぐらす必要は、普通ありません。ですから、このような場合にやっていることはすべて、ここで言う「思考停止」状態でもできることなのです。
降ってきた仕事を「どうやるか」だけ考えていないか
そのような思考停止は、我々が日常的に仕事をしているとき、ごく自然に起こっています。定型的に単にさばくことで済ますことができる仕事の場合、思考力は特に必要とされていないので、思考停止状態であることは問題にもならないわけです。
では、思考停止がどのような状況で繰り返されているのか、具体的に見てみたいと思います。
たとえば、上司から「アンケート調査をやる」という話が下りてきたとします。この場合、「やる」の中身、つまり「何のために、どういう目的で、誰を対象に」といった前提がはっきり決まっているならば、あとは「どうやればいいのか」を考えればいいわけです。
しかし、「やる、やらない」も含めて、アンケート調査の意味や効果、影響などを考えるなら、「そもそも何のためにやるのか」「やることで見えてくるものは何か」「アンケートの結果はどのように使えばいいのか」などと考えることが多くなります。状況次第では、「やること自体に意味があるのか」という前提を問い直すことも含めて考える必要があるということです。