「前提を疑わない」思考が社会規範になっている

“枠”の範囲でものごとを処理する思考姿勢は、定型業務をさばくには適した仕事の仕方です。しかし、何か新しい価値をつくっていこうとしているときには、それでは上手くいきません。

「どうやるのか」から始める、というか、「どうやるのか」でさばこうとしていては、新たな価値は生み出せないのです。

まず大切なのは、定型業務をさばこうとしているのか、新しい価値をつくろうとしているのかを自覚的に判断する姿勢です。

こうした姿勢をまったく持たず、ただ単に定型業務をさばくことが仕事のすべてだと考えている状態を、今の時代では「思考停止」と呼ばざるをえないのです。

そのような思考停止というまわりに重大な影響を与える状態が、なぜこんなに当たり前のように起こってしまっているのか。しかも、あらためてそう言われてみないとほぼ誰も意識していないのが悲しくて恐ろしい現実です。

拙著『日本的「勤勉」のワナ』(朝日新書)で見てきたように、そもそも「置かれている前提を疑わない」という日本の歴史に由来する思考姿勢は、今の日本においては社会規範ともなっています。

オフィスの廊下を歩く社員
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無自覚の思考停止が日本を覆いつくしている

さらに言えば、社会規範になってしまっているところに、思考停止という我々の命運を左右するようなことがこんなにも当たり前に起こっている原因があるのです。つまり、こうした一連の構造をほぼ誰も意識していない、ということが、無自覚の思考停止が日本を覆いつくしている、という問題の深刻さを表しているのです。

柴田昌治『日本的「勤勉」のワナ』(朝日新書)
柴田昌治『日本的「勤勉」のワナ』(朝日新書)

ただし、前提(枠)を置いて、その枠内でものごとを処理すること自体が間違っているわけではありません。前述の通り、これは定型業務をさばいたりするときには非常に効率的なやり方だからです。

問題なのは、“枠”を置くことが当たり前になっていて、“枠”の意味を問い直す姿勢を持っていないことです。つまり、“枠”を外して考えなければならない場合と、“枠”で処理したほうがいい場合の区別ができていない状態です。

実のところ、私たちが無意識のうちに前提にしてしまっている“枠”はたくさんあります。場合によりますが、自分の立場や役職、上司の意向や先輩が言ったこと、さまざまな取り決め、前例などが“枠”になってしまうからです。