さらに、武器商人の存在も欠かせない。鉄炮に必要な火薬(焔硝えんしょうに炭と硫黄を調合した黒色火薬)や玉の原料の鉛などを調達する武器商人は、領主と生産者たる鉄炮鍛冶とをつなぐ役目を果たす。

なお、硝石(焔硝)であるが、当時は国内では得られず、産地の中国をはじめとするアジア諸国との貿易に依存していたから、かなり高価だったことも指摘しておきたい。

たとえば、信長は上洛した翌年に撰銭えりぜに(商取引の際に、良貨を撰び、悪貨を拒否すること)に関する規定を発するが、金銀をもって売買する高級品のなかに「薬」すなわち火薬をあげている。

戦国時代の国際貿易網

硝石が国産化できた時期の詳細は不明であるが、一般的には江戸時代になってからとみられている。「煙硝」と記されるが、一向一揆の拠点越中五箇山(富山県南砺市)で戦国末期から織豊期にかけて生産され始め、大坂本願寺と一向一揆に供給したとする説もある。

藤田達生『戦国日本の軍事革命』(中公新書)
藤田達生『戦国日本の軍事革命』(中公新書)

また鉄炮玉の原料である鉛も、安価な国内産もあるが、遺物を分析すると、その多くを国外に依存していたことがわかっている。硫黄が輸出するほど豊かだったことに比して、肝心の硝石や鉛の確保がネックになっていたのだ。

いずれも、仲介人としては東アジアの武器商人と南欧(スペイン、ポルトガル)商人やイエズス会関係者などが想定され、彼らは今井宗久そうきゅうなどの堺商人と結託し、信長のもとに集中するルートを形成していた。国際貿易を介して、日本の武器商人はアジア諸国からそれらを大量に輸入していたのである。

たとえば、硝石の産地は中国の山東省や四川省だった。またタイ西部のソントー鉱山で産出された鉛は、要港である同国のアユタヤやマレー半島のパタニに集積され、これらが南欧商人によって日本に輸入されたというルートが、平尾良光氏によって指摘されている。

織田信長の天下統一事業の背景にあるもの

このように、鉄炮の量産・浸透システムは、砲術師 鉄炮鍛冶 武器商人(国際商人を含む)という三者間の緊密な関係が成立しなければ、誕生しなかったのである。

「勝てる戦争」を保障した鉄炮であるが、高価な消費財そのものであり、その運用のためには常に資本の拡大すなわち領土の拡張と収奪の強化が必要不可欠だった。

一度鉄炮の破壊力を知ると、たちまち数量をそろえたいという欲望に目覚め、必然的に高価な硝石を大量に確保したいという欲求に駆られるようになる。ここにこそ、抜け目のないイエズス会をはじめとする諸勢力が政治に付け入る隙が生まれる。

信長の天下統一事業の背景には、勝ち続けるための飽くなき富の追求があった。巨大な財源の確保に向けて戦争が目的化し、継続してゆくことになる。

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