鉄道が普及した後もイギリスの地方時は使われ続けていた
この物語は、ここまでのところは問題なしとしよう。だが、この時点で大半の技術史はもう一歩先まで踏み込む。一般に主張されるのは、1855年までには鉄道の時間だけでなく、イギリス自体の常用時――国民全体の日常生活における時間(市民時とも言う:訳注)――がグリニッジに合わせて標準化していて、各地のさまざまな常用時は放棄されていたというものだ。
これが通常、語られる標準時の物語なのである。そこで想定されているのは、日常生活も早期導入者――この場合は鉄道会社――の慣行に歩調を合わせるようになった、というものだ。だが、その想定は間違っている。
私たちの暮らしのなかで、鉄道時間と地方時という二つの時間を使い分けて、両者のあいだで換算するのは可能だっただろう。そんなことは面倒であるように思われるが、私たちは今日二つの時間システム(12時制と24時制)をどうにか運用しており、そのためときには少しばかり暗算をしなければならない。
私たちは度量衡でも同時に二つの制度(ヤード・ポンド法とメートル法や、摂氏と華氏)を使用している。なかにはこうしたことはすべて廃止すべきだと考える人がいるのは確かだが、その議論はまた別の機会にすることにしよう。
肝心なことは、私たちが複数の度量衡制度を並行して使いながらなんとか生活しているという点だ。地方時と標準時でも同じ状況だった可能性があり、鉄道の物語を語る人が見逃しているのは、事情は同じだったということだ。地方時は実際に残りつづけたのであり、しかも1880年代まで、鉄道が走り始めてから半世紀後まで残っていたのである。
鉄道は時間を標準化するうえでは役割をはたしたが、日常生活で標準時がどう普及したかについてはもっと広範囲にわたる物語があったのだ。そして、それはヴィクトリア朝時代の道徳と電気時計設備をめぐる物語なのである。
1886年のロンドン一帯の時報配信先リストは何を語るか
2007年に私はスタンダード・タイム・カンパニー(STC)に関する研究プロジェクトで、電気による計時の歴史を専門にする同僚の歴史家ジェームズ・ナイと一緒に仕事をしていた。STCは1876年に創立され、電気によるロンドン一帯の自動時報配信網を推進していた。
私たちのプロジェクトの途中で、ジェームズがSTCの1886年の配信先リストを見つけたほか、ロンドン一帯のどこにその電信網が設置されていたのかがわかる手書きの配線図も発見した。そして、彼が金脈を掘り当てたことが私たちにはすぐさまわかった。その書類から私たちが発見したものは、電気と時間の標準化についての私たちの考え方だけでなく、ヴィクトリア朝時代の世界について、その道徳や近代性への飽くなき探求についての考え方も変えることになったのである。