グリニッジ時がイギリス全土の標準時になった

1874年に、議会は1872年の免許法がどれだけ実践されているかを検証し、議論は厄介な時計の問題に向けられた。討論のなかである下院議員が、すべてのパブを王立天文台と接続させ、それによって時間がわからなかったという言い訳ができないようにすべきだと提案した。そのわずか2年後に、STCが創業した。このことは、同社の時報配信をそれほど多くのパブが有料で受けていた理由を説明する。

だが、二つ目の問題を解くのはもっと難しかった。それぞれの町や市の酒類販売認可時間は、地方時にもとづいていたのか、それともグリニッジ時だったのか?

デイヴィッド・ルーニー『世界を変えた12の時計』(河出書房出版)
デイヴィッド・ルーニー『世界を変えた12の時計』(河出書房出版)

ある下院議員は「この措置の実行に関連して時間を確実に統一させることには、大いに利点がある」ので、公式な酒類販売認可時間を「グリニッジの王立天文台で計時される時間に従って考えるよう」法律を改正すべきであると主張した。

その6年後の1880年8月に、グリニッジ標準時をイギリスの全法律の公式な標準時とし、アイルランドの法律ではダブリン標準時とすることを明記した法律がイギリスで可決されたことで、問題はようやく解決を見た。

地方時が過去のものとなったのは、鉄道がそれを使った(ことで混乱を招いた:訳注)ためではなく、1870年代に節酒を勧める改革者が時計を使って自分たちの道徳的十字軍運動を維持したかったからなのである。

【関連記事】
迷惑客だった「撮り鉄」を本気でおもてなし…JR東日本の撮影会が「神イベント」に変わったワケ
脱ロシアを宣言したけれど…「ロシアの代わりは見つからない」欧州のエネルギー不足の深刻度
「軍事とは経済である」武田信玄がどんなに"優れた戦国大名"でも、信長には絶対に勝てなかったシンプルな理由
キーウ電撃訪問はウクライナのためではない…英ジョンソン首相の英雄的行動のウラにある残念な事情
「取りやすいところから徹底的に取る」政府がたばこの次に増税を狙っている"ある嗜好品"