300以上の登録客がSTCから正確な時刻を享受していた
私たちは配信先と配線図をじっくり眺め、ヴィクトリア朝時代のロンドンの古地図で細部をたどった。古い道路のレイアウトが現在の道路とどう重なるのか確かめ、STCの電信線が実際にどこを通っていたのか、数え切れないほどの市街図を調べた。市場の規模についての手がかりを求めて、通りを歩くことに時間を費やし、各会社がどれほどの大きさで、1886年にはその店舗がどれほど近代的に見えたであろうかも推測した。
そうして、数週間ほど調べ、検討したのちに、私たちはどんな事態が起きていたかを理解し始めた。
1886年には、366の別々の地点にいる300以上の登録客がSTCの電気時報ネットワークに接続され、1時間ごとに電流の急激な増加を受け、自動的に店舗内にあるすべての既存の時計の時間を自動修正してもらっていた。
これらの建物の壁に掛けられた何千台もの時計は、ロンドンのシティにあったSTCのコントロール・センターの時計から、毎時、電信網で流れてくる電気同期信号によって、秒単位で正しくセットされていた。何万もの人びとが同社の標準時を頼りに、行政、金融、通商の仕事を調整していたのだ。
配信先の4分の1がロンドンのパブやレストランだった
配信先の人びとの多く――銀行、取引所、手形交換所など――に関しては、彼らがなぜ正しい時間を知る必要があったのかは容易に想像がついた。だが、同社の配信先リスト全体の4分の1を占めていたのは、別のタイプの職業だった。
ロンドンの80カ所以上のパブ、カフェ、レストランが、STCの電気時報ネットワークから有料で配信を受けていたのだ。
初めのうち、ジェームズと私にはそれがなぜなのか見当がつかなかった。そこで、ヒントを探すために、私たちはこれらの標準時利用のパブのうち何軒がまだ残っているかを確かめるという目標を定めた。それはつまり、大いに歩いて、うまく見つかれば、飲めることを意味していた。期待したほどは飲めなかった。
大半のパブは、STCが株式市場で活躍した時代から、閉鎖されて久しいか、2度の世界大戦で破壊されていた。戦後の再建のなかで、パブの多くは一掃されていた。それにもちろん、私たちは開店時間である正午から夜の11時までのあいだしかパブを訪ねることはできなかったのだ。