※本稿は、宮崎直子『鋼の自己肯定感 「最先端の研究結果×シリコンバレーの習慣」から開発された“二度と下がらない”方法』(かんき出版)の一部を再編集したものです。
自己肯定感を上げすぎても自己中にはならない理由
大人になってから自己肯定感を育むのは難しいと思う人も多いかもしれない。
だが、誰でも、いつからでも、どこからでも自己肯定感は上げられる。
なぜなら、自己肯定感は「決意」だからだ。決意なら、あなたが今15歳でも95歳でも、今すぐすることができるはず。「過去に何があっても、今どんな状態でも、これから何があっても、自分を無条件に受け入れ愛する」と決意すればいい。
そしてこの決意を忘れて自分のことが嫌いになりそうなことに気づいたら、すかさずこの決意を思い出せばいいだけだ。
もちろん決意しても、いろいろな「でも」が心の中に湧き上がってくるだろう。「でも、昔こんな酷いことをしてしまった自分を好きになれない」「でも、だらしない自分が嫌」。放っておけば、「でも」はいくらでも出てくる。
「でも」は厳しい言い方をすれば、言い訳だ。人はそれが自分のためにならないことでも、慣れ親しんだものを手放すのが怖い。
そこで、これから紹介するワークなどを通して、勇気を持って、言い訳を1つ1つ手放していってほしい。その先には、自分のことが大好きで、なんでもできそうな軽やかな自分が待っている。
「自己肯定感を上げる」と言うと、「自己肯定感を上げすぎると自己愛が強すぎて自己中心的な人間になってしまわないか?」と危惧する人も中にはいるようだ。
ありのままの自分を大事にする、自分の気持ちに寄り添う。それは自分を甘やかすことになるのではないか? 自分勝手なのではないか?
自己肯定感が高い人と自己中な人の根本的な違いは、その人の心が真の愛に満ち溢れているかどうかだ。人の心には、愛か恐れのどちらかしかない。その他の感情、例えば、嫉妬や怒りは恐れから派生したものだ。
自己肯定感が高い人は、自分も含め万人への愛に満ち溢れている。自分をありのままに受け入れ愛することができると同時に、他人もありのままに受け入れ愛することができる。
一方で自己中な人は、一見自分のことを愛しているように見えるが、実は存在レベルの愛情を、自分に対しても他人に対しても抱いていない(存在レベルの愛情とは、赤ちゃんに対するような無条件の愛のこと)。
特定の状態の自分を受け入れることはできても、全ての状態の自分をありのままに受け入れることはできない。他人もありのまま受け入れることはできない。