小さな工場時代から「面倒くさい」人だった
私が知る限り、稲盛さんは「面倒くさい」人だった。
まだ京都の名の知れない小さなセラミック工場の社長であった時代から、納得がいかないことがあると相手構わず腹落ちするまで議論した。雨が降ったら傘を取り上げるような銀行とは付き合えないと、当時の経済界で有名だった都市銀行の頭取に会いに本店まで乗り込んで行くような人だった。
今でこそ稲盛さんの京セラ会計学は有名だが、工学部出身の稲盛さんは、もともと会計には明るくなかった。けれども、自分は素人だからと納得がいかないことを鵜呑みにすることはなく、納得がいくまで議論し続けたので、経理担当者には「これだから素人は」とあきれられていたという。
税金を余計に払ってでも「正しい会計」を貫き続けた
稲盛さんが、政府が定める会計のルールに納得できず、社の監査を請け負う会計士や税務署の職員と激論を交わした逸話は枚挙にいとまがない。
固定資産の耐用年数もその一つだ。
セラミックスを製造する機械は硬いものを扱う。このため、法定耐用年数が10年のものでも、実際には3年ぐらいしか持たない。実際の3倍もの年数をかけて償却すると、実際よりも経費が少ない分、もうかっているように見えてしまう。
会計の本質は会社の飾らないありのままの姿を映し出すことと考えた稲盛さんは、法定耐用年数に従わなかった。税務署と激論を交わした末に、税金を余計に払って有税償却という方法をとってでも実際に機械が動く期間内で償却することを選んだ。
また在庫評価は、製造コストを積み上げて出した原価を基にするのが一般的だが、実際稲盛さんが製造していた電子部品の売値は刻々と変化する。製造原価が1000円でも商品の値段が下がってしまい、今は500円でしか売れないものの在庫を1000円と評価するのは不健全だと稲盛さんは考え、売値をベースに製造コストを出す売価還元法を採用した。
京セラが上場するに当たり、「小売業が使うようなこのシンプルな売価還元法を使っては困る」と監査法人や税務署から飛んできた指摘にも、「いや、こちらの方が会社の素の姿を表すから、よっぽど正しい」と一歩も譲ることがなかった。
稲盛さんは「保守的会計」という自ら定めた経営の原理原則に基づき、徹底的に面倒くさい人であり続けたのだ。