抗がん剤治療で母親が急激に衰える中、実姉ががんで死去

2019年12月。76歳の母親は、抗がん剤治療の副作用が強く出て、味覚障害のため食欲がなくなり、皮膚が真っ赤になって皮がむけ始める。精神的にも落ち込み、一日に何度も転倒を繰り返すようになった。

だんだん寝つきも悪くなり、全く眠れなくなったため、病院で睡眠薬を出してもらう。母親が眠れないときに付き合っていた南野さんも眠れなくなってしまい、母娘そろって睡眠薬を服用するようになった。

父親が亡くなってから、かれこれ2カ月ほど姉から全く連絡がなかった。母親が抗がん剤の副作用で起き上がれない状態になり、母娘そろって不眠になっているというのに、連絡さえよこさない姉に南野さんは憤慨。すると母親は、「きっと仕事が大変なのよ」と姉をかばう。これにはさすがに南野さんも腹が立ち、母親に怒りをぶつけてしまう。

その翌日、音信不通になっている姉に違和感を抱き、母親が電話をかけた。すると姉はその日のうちに夫婦で実家を訪れ、約10年前に乳がんになり、左胸を全切除し、ホルモン療法を続けていたが、7〜8年再発していなかったため、心配をかけたくなくて言わなかったと話した。しかし2019年6月に再発がわかり、すでに肝臓と骨に転移していることを告白した。

「姉はウイッグを取ると髪の毛がなく、話の内容からも、もう余命幾ばくもないということがわかりました。今なら、がんだったから、父親が寝たきりになった際に『金銭的な援助しかできない』と言ったのかなとわかりますが、当時は全く知らなかったため、言葉を失いました」

2020年1月。前月には家の中ではかろうじて歩けていた母親が、ほとんど歩けなくなっていた。食欲はなくやせ細り、睡眠導入剤なしでもひたすら眠り続ける。

不安で落ち潰されそうになった南野さんは、主治医に相談。すると精神科を紹介され、10日には、母親の精神科への入院が決まった。

後日、「検査の結果、抗がん剤治療の副作用によるストレスで、急激に衰えはしましたが、認知症ではありません。リハビリすれば、歩けるようにはなります」と医師から説明がある。南野さんは最悪の事態を想定していたが、胸をなでおろした。

抗がん剤治療を休止し、味覚を取り戻してきた母親は、毎日のように携帯電話で南野さんを呼び出す。お喋りも復活し、話すことはほぼ食べ物の話。しかし糖尿病のある母親は、食べたいものを自由に食べられない。それでも南野さんにとっては嬉しい悲鳴状態だった。

3月に母親は無事退院したが、姉は脳へのがんの転移が発覚。4月に入ると、義兄が姉の様子をメールで伝えてくるようになった。母親は、姉に会いに行きたい一心で歩行のリハビリに取り組んだが、世の中はコロナ禍で面会許可がなかなか下りない。

仮に許可が下りても、がんで弱っている姉に会いに行くことははばかられた。南野さんは、「コロナが収束したら会いに来てね」と姉が言っていたという、義兄からの伝言を母に伝えた。

4月末、乳がんのため姉は死去。50代半ばだった。

さらに8月。義兄(姉の夫)も職場で倒れ、そのまま死亡。死因ははっきりせず、「循環器系疾患疑い」と死亡診断書には書いてあった。