「おじさん」だから習得できた秘技

実はこの「コーヒー作戦」あるいは「おでん作戦」の技(「技」といっていいものか迷うところだが)を編み出すまでに長い時間がかかった。

40歳を過ぎた頃に初めて確立できた。20代の頃は目の前の方がテレビで見たことがあるというだけで、カメラを持つ手が冗談みたいに震えた。緊張し過ぎて頭が真っ白になり、フィルム一本まるまる露出を合わせないまま撮ってしまったこともある。その方を時折テレビでお見かけすると、いまでもあのときの自分の焦りを鮮明に思い出す。

小林紀晴『写真はわからない』(光文社新書)
小林紀晴『写真はわからない』(光文社新書)

でも慣れというものは確かにあって、あるときからそんなことはなくなった。逆にアドレナリンが噴出する場面が増えてきた。それは一種の快感といってもいいし、闘志が燃えるといってもいいかもしれない。

目の前の方が有名だったり、大物だったりすると、まだ誰も撮ったことのない表情を自分が初めて撮るのだ、というより強い気持ちを抱くようになった。

実際に撮り出すと、時間の感覚が消える。撮影を終えたとき、10分間の撮影時間だったのか、あるいは30分間くらい経過したのかまるでわからない。それだけ集中しているということだろう。

40歳を過ぎてからこの技を確立したというのは、それまでの経験ももちろんあるが、世の中でいう「おじさん」の部類に自分が入ってきたことが何より大きい。一種の「開き直り」ができるようになったのだ。

「最近聞いてる音楽ってなんですか?」も効果的

何よりポートレート撮影はどれほど短い時間であっても、一対一の関係になる。通常の人間関係でも初対面では性別、年齢(自分より年上か年下なのか含め)、立場などが重要なのと同じだ。このことは絶対に無視できない。

若い頃、撮影中に自分からは絶対に聞けないことがあった。それは「最近聞いてる音楽ってなんですか?」といったものだ。無難な話題としてとても適していることはわかっていたが、絶対に聞けなかった。自分がまったく音楽の流行に詳しくなく、コンプレックスさえ抱いていたからだ。それが40を過ぎたら、若い方に対して平気で聞けるようになった。

聞いたところで、私が知っている曲名が返ってくることはまずない。そのことは織り込み済みだ。

「最近、どんな音楽聞いているんですか?」
「○○○○○というグループです」
「……ごめん、おじさんだから、若い人の流行りはわからなくて……」

すると目の前の若者は苦笑いする。

「それって、どんなグループですか? K-POPとか……」

わからないまま会話を続けることはできる。やはり、おじさんだからだ。これで相手の緊張がとける。ジェネレーションギャップを味方につけられる。ここでもまた空回りしていることが何より重要だ。

自分が若い頃は「知らない=流行に疎い=センスが悪い=いい写真が撮れない」と思われるのが怖かった。そんな連鎖が抑えられなかった。これもまた、過剰な自意識の表れだろう。40を過ぎて、それから解放された。