※本稿は、小林紀晴『写真はわからない』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
プロでもポートレート撮影はいつも緊張する
被写体の存在なくして撮影は成立しない。これは間違いない。必ず被写体の存在が必要だ。被写体あっての写真、あるいはフォトグラファーといえる。
だから、写真について語ることイコール被写体を語ることになる場合が多い。本来、別々に考えること、語るべきことかもしれないが、これがなかなか難しい。場合によっては、混在していることすら意識しなくなっている場合もある。これが写真の特性であるともいえる。
被写体との関係は撮影の数だけ存在するといってもいいだろう。その中でもポートレート撮影は特別だと思っている。常に緊張するからだ。慣れることがない。いつでも新鮮で、飽きることがない。
その理由は「怖いから」という一言に尽きる。ポートレート撮影をするときは、毎回、今回が初めてという気持ちになる。それはなぜか。端的に言えば、相手が「人」だからだ。
人には意識があり、意思があり、感情があり、そして個性がある。個体差が大きいといってもいいかもしれない。だから予測がつかない。撮影する上でコントロールできない。だから怖いのだ。
広告の中にいる女性の笑顔は本物か
例えば、ある広告の中で女優がいい笑顔をしていたとする。はたして、その表情は誰が引き出しているのか。
もちろん、女優が自らその表情を出しているに違いないが、撮影者がいないカメラの前に一人で立ち、勝手に笑顔をつくっているわけではない。もちろんプロなのだから、そんな状況でも笑顔をつくることも不可能ではないだろう。ただ、自然な笑顔というのは、誰かとのコミュニケーションの中で感情が動いたときにより自然になる。意外なほど、人はそれほど器用ではない。
何より見る側は、不自然な笑顔を怖いほど見破ってしまう。写真に詳しいとか詳しくないとか、そんなことは一切関係ない。人は、人の表情を読み取ることを日常的にしているから敏感なのだと思う。