人は弱い。すぐに冷静さを失い、簡単にダマされてしまう
人は弱い生き物だ。自分の願望を叶えてくれる(ように思える)事柄であるとか、信じていたい(信じさせてくれる)事柄、自身の悩みや憤り、ストレスを解消してくれる事柄を見つけたりすると、その真偽を見極める冷静さを失い、簡単にダマされてしまう。
50万人程度しかいない在日コリアンが、1億2000万人を超える日本人をコントロールし、社会を牛耳ることができると、本気で思うのか。冷静に考えればわかるだろうに。
在日批判の本質とは「多くの日本人がツラい日常を過ごしているというのに、ヤツらはおいしい思いばかりしているらしい。許せない」という嫉妬と憤り、怨念であったと、私は捉えている。そして、そこで語られたことの多くは妄想だった。
こうした「ネット右翼(ネトウヨ)」の動きに対して、左派から「出自で差別するのはヘイトスピーチである」と反論があがり、ネトウヨがおこなった路上デモに対するカウンター抗議活動なども発生。法務省もヘイトスピーチを禁止し、現在、ネトウヨの活動はかなり縮小している。
「なにがあろうと、差別は許されない」という気運
近年「差別は絶対に許されない」という気運が高まり、ネットを含めた公の場における不穏当な発言を認めない風潮も強まっている。
たとえば、杉田水脈衆議院議員の「LGBTは生産性がない」発言は多様性社会に逆行するものとして糾弾された。森喜朗・元五輪組織委会長が発した「女性は話が長い」「わきまえている女性は余計なことを言わない」といった言葉も女性差別だとして問題視され、辞任に至った。その他にも、黒人の権利を守るBLM運動が世界的なムーブメントになるなど、ポリコレの観点から差別主義的な言動は許されなくなっている。身体障害者、被差別部落、肉体労働者、非正規雇用などに対する差別も、もちろん許されるものではない。
小池百合子東京都知事が2016年の都知事選に臨んでいた際、小池氏の対立候補を応援していた石原慎太郎氏から「大年増の厚化粧」と揶揄された。それを受けて、小池氏は「生まれつき顔にアザがあるため、それを隠すために厚化粧をしている」と冷静に説明。世間は石原氏を差別主義者と認定するとともに、小池氏への同情世論が一気に醸成された。そうして選挙は、小池氏の圧勝に終わった。
石原氏にはもともと暴言癖といった嫌われる要素があったにせよ、「生まれもった事柄や変えられない事柄に対して、差別的なことを言うのはポリコレ的に許されない」という風潮は、この時点で完全に社会に定着していたと捉えてよいだろう。その後も「胸の大きいアニメキャラを自治体のキャンペーンに使うのは性的搾取」といった炎上騒動も数多く発生している。