「プーチン=極悪、ゼレンスキー=正義」でいいのか
自慢話のようで恐縮だが、私の高齢者向けの本が売れている。
『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)が22万部売れたと思えば、3月末に出した『80歳の壁』(幻冬舎新書)は発売1週間で4回も増刷がかかり8万部となっている。
これらの本で強調したことのひとつに、前頭葉の老化予防ということがある。前頭葉が老化すると意欲が低下し、足腰や脳を使うことが減っていくので全身の老化が加速するからだ。
前頭葉の老化予防のためにできることに、ルーティンを避けることがある。行きつけの店でない店にチャレンジしたり、普段読まない著者の本を読んだりすることだ。
私が前頭葉の老化予防のために心がけていることは、なるべく人の言わない意見を言うようにすることだ。
人の言っていないことを言うために情報を探すことや、それを表明するためのロジックを考えることが、多少なりとも脳を創造的に使うことになり、前頭葉のトレーニングになると信じているからだ。
たとえば、世間の論調が「コロナが怖い」一色で染まっているときに、ほかの病気でどのくらい普段の年に亡くなっているのかを調べることで、風呂場で死ぬ人よりコロナで死ぬ人のほうが少ないというような意見が言える。
感染防止のためコロナ自粛一色で染まっているなら、ステイホームの負の側面にもスポットライトを当て、足腰が弱って高齢者が歩けなくなるリスクなどコロナ自粛の弊害を指摘するといった具合だ。
前置きが長くなったが、そういう思考習慣をつけている人間にとって、今のウクライナ情勢はかなり違和感があるのは事実だ。
プーチン=極悪非道、ゼレンスキー=正義の味方
というような図式が出来上がり、それ以外の意見が言いにくい状況となっている。大量の市民の死傷者が出ているこのタイミングでわざわざロシアの弁護をする必要はない。ロシアの侵略行為は決して許されるべきではない。