「私じゃなくても良かったんじゃないですか」
ずっと一人で頑張ってきたが、心の中には拗ねている自分もいた。開校した翌月に一時帰国し、初年度に集まった学生の人数など、事業の進捗を社内で報告すると、役員から「何でパリじゃなく、アングレームにしたのか?」との声もあった。馬渡さんはついに弱音を漏らしたという。
「社長に『私じゃなくても良かったんじゃないですか』と言ったんです。すると社長は『僕は営業スキルがあるとか、運営のことをすごく知っているということもない。けれど、誰を責任者として置くかということに関してはベストな選択をしているという自信がある』と。フランスに関しても間違いないと信じて、私を配置したと言ってくださって。それだけ信頼してもらえているなら応えたいなと思うと同時に、私がダメだったら、皆もダメなんだからと、開き直ることにしました(笑)」
この学校の授業には意味がない
学生への対応も日本と異なる苦労があった。フランスの若者たちは学習意欲が旺盛で、思うことをはっきり言う。カリキュラムへの要望や段取りの悪さ、連絡の不徹底などに対するクレームも多かった。
開校から3カ月ほど経ったある日、3、4人の学生がスタッフルームに来て「この学校の授業は、今日までまったく意味がなかった」と訴えられた。学生からすると、体系づけられたプログラムになっていないので満足できず、新しく学ぶこともあまりなかったという。その一件を通じ、馬渡さんは一人の教員任せだったことを反省。マンガ家の実績に加え、日本・海外両方の教育経験の豊富な教員を新たに迎えプログラムの充実を図るなど、トラブルが起きる度に対応していった。
2年目にはやっと募集以上の人が集まり、学生がぐんと増えた。すると少人数のスタッフでは手が回らなくなり、情報共有も難しくなった。さらに公共施設だった建物のビル管理が急遽縮小することになり、掃除やレセプションの対応も学校側の運営になる。そのため業務はますます増えて、問い合わせの電話にも対応できないほどになっていった。留守電の回答も遅れがちで、このままでは学校のイメージダウンになりかねない。ついに業務不全がピークに達し、疲れきったメンバーから改善要求があったのは2018年2月の頃だった。
「皆、ピリピリして、何とかしてほしいという課題があがってきました。それでもすぐには100%すべてを解決することはできないから、優先順位をつけて進めるための全体会議をしようと。まずはそれぞれ問題と感じていることを挙げ、そこに解決策もつけてExcelなどで出してほしいと提案したのです」
馬渡さんは出てきた課題を重要度別に分けると、至急要件から縦軸に書き出し、横軸に理由と解決案を提示するマトリクス表を作成。それによって混乱していた現場の問題が整理され、妥協点も見えてきた。それをもって、全体会議で話し合ったところ、感情的になっていたスタッフも落ち着いて業務に向き合えるようになった。馬渡さんも部下との関わり方を見直す機会になったという。
「もっと皆に任せていいんだと気づきました。集まった意見の中には、社長である私が細部に入り過ぎているという不満もあって。私は1から10まで『あれをして、これをして』と細かく言っていたのですが、そのスタンスは変えた方が良さそうだなと。もともと自分が納得しないと先へ進めないタイプで。特にフランスは一人で情報を集めて、その中で間違いのない判断しなければいけない状況からのスタートだったから、主観に偏らないように、ちゃんと説明材料をそろえて回答しなければいけないと思っていたんですね。何事も用意周到なところがあったけれど、部下にとってはそれが窮屈だったようで」