10分程度の動画でも「見ていられない」

若者はもはやYouTubeの10分程度の動画でも「長い」「見ていられない」と感じるようになっている。それくらいに切羽詰まった毎日を生きている。かれらは「楽しみ方や攻略法を試行錯誤の末に発見する」とか「楽しいと思えるものが見つかるまで、そのジャンルにとどまり続けて、まだ見ぬ作品を試行錯誤して掘り出していく」といった作業をあまり好まない。いや、好まないというか、そんな時間的・精神的余裕がないからできない。

お気に入りのクリエイターやインフルエンサーが発信するコンテンツを効率よく周回しなければ、次のコンテンツがまた大量にやってきてしまう。試行錯誤したり、立ち止まってじっくり考えたり、考察を深めたり、同好の士と夜通し議論を交わしたりする時間はどんどん失われている。さながら、泳ぐのをやめれば息が詰まってしまうさめのように。

砂時計
写真=iStock.com/Nuthawut Somsuk
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「ファスト映画」が流行ってしまったのには必然性がある

昨年に摘発されて一斉に消滅し、逮捕者まで現れた「ファスト映画」とされるジャンルが一時期のYouTubeで大流行したのも偶然ではない。「ファスト映画」とは映画を(実際の映像や静止画を用いながら)10分程度に要約するものだ。

映画をじっくり鑑賞せず、ストーリーとそのオチだけをとりあえず知っておこうというのは、「映画を鑑賞する」という行為を真っ向から否定する営みであるようにしか思えない。なぜこのようなジャンルが流行してしまったのだろうか。たとえ映画が好きではなくても人生でいちどは観ておくべきだとよく言われる古典的名作や超大作の「さわり」を大まかに知っておくことで、効率的に映画の知識や教養を獲得したいと考える忙しい若者たちのニーズがそこにはたしかに存在していたからだ。

「ファスト映画」の流行は、その法的・倫理的な是非はともかくとして、社会から効率的かつ生産的に生きることを求められている若者たちのおかれた状況を考えれば、ほとんど必然的なものだっただろう。

「ファスト映画」が刑事的問題となって駆逐されたいま、新しい開拓地は「ファストゲーム」だ。クリアするまでに多大な時間を要する大作ゲームのストーリーシーンだけを集めて「自分でプレイし終えた」気分にさせてくれる動画に多くのニーズが集まっている。クリアまで50~100時間もかかってしまうような家庭用ゲームの最新作を、いまの若者世代は時間的にも気力的にも満足に遊べなくなった(忙しい社会人現役世代もそうかもしれない)。