趣味人として生きたいが、許されない
こんにちは。僕はフミコフミオ、1974年生まれのアラフィフだ。こうやってネット上に文章を書きながら、食品業界で営業職として働いている。
50歳が視野に入ってきて、職業生活のカウントダウンを意識するようになった。今の仕事と職場に耐えがたい不平不満はないので、このまま最後まで今の職場で仕事を続けていくのか、それとも職業生活ラスト10年に新しい挑戦をするのか、ときどき考えるようになったのだ。
新しい挑戦といっても具体的な考えがあるわけではないので、十中八九前者を選ぶことになるだろう。恐妻家である僕には奥様もそれを望んでいるように見える。
実はもうひとつ選択肢がある。「働くのをヤメる」という選択だ。引退してしまって趣味人として生きる、ベストの選択なのだが、経済的な理由で選択肢に挙げられないでいる。経済的な問題がクリアできるのなら、趣味人と生きてみたいが、許されない。
大人になったら自由に生きられると教えられていたのに、自由になれないのだから、僕が子供の頃に大人だった人たちにだまされた気がしている。
どんなに幸せでも「飽き」という不満がわいてくる
会社員でも公務員でもフリーランスでも、働く立場は何でもいいのだけれど、仕事もそこそこ順調、上司や同僚との関係もまあまあ、収入も生活には困らない程度ある、という安定期にあるときはその状態をできるかぎり維持したいと考える。当たり前だ。安定しているものをわざわざ壊すようなことは誰でもしたくないものだからだ。
だが、人間の面倒くさい性質として「飽き」がある。同じことを繰り返していると、それがいかに安定して幸福な状態であっても、飽きがやってきて、油断してミスを起こしたり、クオリティーの低い仕事でクレームを受けたりする。オシドリ夫婦と呼ばれていて、それをビジネスにして絶好調だった芸能人夫婦の片方が不倫に突っ走るのも「飽き」の問題がひとつの要因と思われる。
飽きを乗り越えるためには挑戦が効果的である。挑戦には2種類ある。