統計に出ていない災害関連死が無数に埋もれているのではないか
――東日本大震災の関連死としては、3784名の方が認定されていますが、審査すら行われずに埋もれた事例は無数にあるのでしょうね。
そう思います。私は岩手県山田町などの審査委員として、100件以上の災害関連死の審査にたずさわるとともに、他の自治体の件について様々な法律相談を受けてきましたが、本当は災害関連死に認定されるべきなのに、申請もされずに終わっている件は多数眠っているのだと思っています。
そもそも「家族が亡くなったら自治体からお金がもらえる」という災害弔慰金の制度は、「あって当然」という制度では必ずしもありません。よって、自治体による広報が重要となるのですが、実は災害直後に数回広報されただけで、その後全く広報されていない自治体もあります。申請期限はないのに、申請期限が3カ月しかないかのように誤って広報されてしまったケースすらあります。
さらに、被災された方は仮設住宅という密集したコミュニティにいました。本来関連死と認定されるべき件が認定されなかったということを耳にして、「あの人が関連死じゃないなら私の件は違うんだろう」と申請を控える件など本当に様々なことが考えられます。
東日本大震災では、直接死が約1万5900人、行方不明者が約2500人、関連死が約3800人という状況です。他方、災害関連死の問題等がある程度明らかになった後に起きた熊本地震では、直接死が50人で、関連死が223人(2021年9月13日時点)と4倍超になっています。
この4倍超という数字は、ある程度ではありますが、潜在的に埋もれている関連死の件数を想像する手がかりになるのだと思います。そして、実は阪神淡路大震災等、過去の災害においても同様で、実は多くの災害関連死が眠ったままになっているのだろうと思っています。
なぐさめ、支え合うための災害弔慰金
――災害関連死について話すと、なんでもかんでも災害関連死と言っていたらキリがないのではないかという反発があります。それに、高齢者や基礎疾患を持つ人が、災害関連死に認められたと報じられるとネット上では「人はいずれ死ぬのだから、高齢者に税金が原資の弔慰金を支払うのはおかしい」「健康管理ができなかったのは、自己責任だ」という反応もよく目にします。
まず、仕組みを正しく理解する必要があります。
災害弔慰金を支給する法律があり、その法律の中で、災害と死の間に法律上の相当因果関係があるなら500万円または250万円が支給されると決まっています。そして、人は必ずいつか死ぬので、災害により死が早まったのであれば、相当因果関係は「有り」となります。
したがって、上記のような批判は、「こんな法律はおかしい」と国会に向けられるべきであって、審査する自治体や遺族に向けられるのは間違っています。
その上で、ではなぜこんな法律ができたのかと言えば、それは、他に被災者を支援する制度が、当時他にはなにもなかったからと言うことができます。
この法律ができたのは、1973年です。当時は今と異なり、被災者や遺族の生活再建のために、直接お金を支給する制度がありませんでした。当時は、そのような制度は憲法に抵触すると考えられていました。そんな中、せめて家族を亡くした遺族に弔慰を示す枠組みにより、せめて遺族ぐらい支援できないかという中で生まれたのが災害弔慰金という制度です。
考えてみれば、不思議な制度ではあるんです。昔は、災害で人が死ぬのは当たり前で、遺族が行政から見舞金を支給されるなんて仕組みはありませんでした。あって当然という制度でもありません。被災者は、まさに自己責任で生活を再建するしかありませんでした。この意味では「自己責任だ」というのはそのとおりで、そういう時代もありました。
でも、社会が発達し、日本では災害が頻繁に起こるなかで、国民から集めた税金によって遺族に弔意を示し、ある意味支え合う制度ができました。自己責任だけではなく、全体で支え合う制度です。