災害関連死を教訓とする視点が行政に欠けている

――しかし昨年、3.11の被災自治体のいくつかで、審査会の議事録など、災害関連死にかかわる資料が廃棄されていると報じられました。

災害関連死を検証し、教訓として制度改善に活かそうという視点が、現在の運用には決定的に欠けている、その象徴的な出来事だと思います。

そして、それこそもっと大きな視点でみても、災害関連死を検証し次に繋げていくことが、現代を生きる私たちの使命、責務だとも感じています。

それこそ、私たちが原始人だった時代にも、たくさんの災害が起きました。地震や津波、火山の噴火、隕石いんせきだって落ちてきたかもしれない。災害によりたくさんの人たちが死んで、ときには存亡の危機に瀕した中で、生き残った人々の子孫が私たちです。

地球で生きるうえでは自然災害は避けられません。特に日本列島はそうです。私たちの祖先は、災害のたびに自然の偉大さと人間の無力さを感じながらも、それでも、文献に書いたり石碑を残すなど、様々な方法で知見や経験を残し次の自然災害に備えてきました。

その積み重ねの成果が、現代の堤防や砂防ダムであり、災害医療の進歩、支え合いの枠組み、そして被災者支援制度のはずです。過去の災害で生き残ってきた人の子孫である私たちは、現代で起きた悲劇を残し、制度改善に繋げ未来に残していく使命を負っています。そのためには、ひとつひとつの災害関連死に目を向けなければなりません。これを改善に繋げずに同じ過ちを繰り返すというのは、愚かであるだけでなく、先人達をも冒涜ぼうとくし、そして将来の子ども達の命を軽視する行為なのだと考えています。

よかれと思って窓口で断るケースも…

――ただ災害関連死の現場を取材してみると、検証や活用以前に、実態の把握すら進んでいません。災害弔慰金を申請したものの、自治体の窓口で断られたと語る遺族も少なくありませんでした。

3.11当時、私は岩手県宮古市に暮らしていました。被災後は、被災者に対する支援はもちろんのこと、行政、役所から法的助言を求められアドバイスもしてきました。そうした経験からすると、職員は悪意があって申請を断っていたのではないと思います。それどころか大多数の職員は、災害関連死に「該当する遺族」にはあまねく申請してもらって、災害弔慰金を支給したいと考えていたと思います。

他方で、申請をさせ期待を抱かせたのに、災害関連死ではなかったという結果を伝えるケースも目にし、自治体職員は、そのような悲劇も避けたいとも思っていたはずです。遺族を更に傷つける行為になるからです。

つまり、窓口に立つ自治体職員からみて、災害関連死に該当する可能性のある件はもちろん申請を受け付けるけれども、その自治体職員から見ておよそ災害関連死に認定されそうもない事例については、窓口で申請をしない方向に促すといったことは相当数あったのだろうと思います。

窓口での説明
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特に東日本大震災の被災地の多くは東北の田舎で、誰もが知り合いの知り合いぐらいの距離感です。申請を受け付けたのに関連死ではないという審査結果を突きつけることは、自治体職員にとっても苦痛となります。そのため、自分の目からみて関連死と認定されそうもない件については、予め申請を控えるほうへ誘導する。こういった対応は、相当数なされたのだろうと想像しています。

そして、当初、多くの審査会で、私から見れば非常に問題のある認定、要するに関連死の範囲を非常に狭く捉える認定がされました。これを知った窓口に立つ自治体職員は、「ああ、こういう極めて直接的なケースでなければ災害関連死として認定されないんだ」と誤って学習してしまったことでしょう。そして、災害関連死については事例の公表等がほとんどと言っていいほどされていないので、この誤学習が訂正される機会はなく、その結果、申請拒否とも受け止められる対応に繋がっているのだと思います。

例えば、生活保護の申請窓口では、水際作戦とも呼ばれる、自治体の財源等を気にした問題対応がとられるケースがありますが、災害関連死の場合は、少し事情が違うのだろうと想像しています。