高い支給額の影響で認定が厳しくなっている

――「災害弔慰金の支給等に関する法律」は、1967年の羽越豪雨で両親と2人の息子を亡くした故・佐藤隆代議士の尽力で生まれました。当時は被災者の生活再建にあててほしいと考えていたそうです。

当初の弔慰金の額は50万円以内でした。その後、経済や社会の発展に合わせるように増額されていき、現在の額になったのは1991年、つまり阪神淡路大震災の前です。遺族の生活を支えるために他の制度がない中、500万円や250万円を支給するという制度ができあがったのは、十分に理解ができます。

他方で、実は関連死の認定の場面で弊害が生じていると感じています。というのも、500万円、250万円という高い支給額の影響で、災害関連死の認定が厳しくなるという現実を何度も目の当たりにしたからです。

私が、岩手県山田町で、災害関連死の審査委員をつとめていたときのことです。審査会では、弁護士や医師ら5、6人が、申請書類や死亡診断書などをもとに、ひとりひとりの死が災害の影響によるものか、確認していきます。

自治体の財源まで気にする審査委員も

その中で因果関係の有無を議論していくと、認定されるか、されないかという、いわば1か0かという議論になります。現在の運用としてはこれが正しいです。ただ、誰が見ても100%震災の影響で亡くなったケースもあれば、感覚的な問題になってしまいますが、50%のケースもあります。議論を繰り返すなかで、審査委員だった医師がこんな疑問を呈しました。

「震災の影響はさほどでもないのに、このケースも500万円を支給するのか」

この発言は、感覚としては十分に理解ができます。実際、例えば損害賠償請求の裁判などでは、割合的認定や寄与度や過失相殺など、公平の観点から、関連性の程度といったものを考慮する枠組みがあります。

しかし、災害弔慰金の法律は、法律上の相当因果関係があるなら500万または250万円となっていますので、現在の運用としては、上記の様な感覚を審査に持ち込むのではなく、あくまでも、法律上の相当因果関係の有無を判断しなければなりません。

このような指摘が、全ての審査会でなされ、弁護士以外の審査委員の中で理解されていればよいのですが、審査委員の多くは医師や学者で占められ、弁護士はたった1人というケースも多いので、このような感覚が、関連死の認定の場面で悪い方に影響し、関連性なしという結論が出てしまっているケースは相当あるのだろうと想像しています。

それこそ、審査委員の中には自治体の財源まで気にする人もいて、そんなことはもちろん関係がないので考慮してはならないのですが、支給額が多額にのぼることが、誤った審査に繋がっている現状は残念ながらあるのだろうと思っています。