自己が発達しないまま大人になるとどうなるか

ところが、エクセレント親子のように順風満帆で、羊水の中に漂っているような子どもは親と一体化していますから、自己はなくていい。いつも欲求不満をたちどころに解消できて、親に叱られることもなく生きていると自己は発達しません。幼児的な自己愛にとどまってしまいます。そのまま大人になると、自己愛が傷つくのを非常に恐れるようになります。

しかも、いつも先回りして自分の気持ちをみとり満たしてくれる人のそばで生きていると、自己主張の技術も発達しません。自分の微妙な欲求を、周囲と折り合いをつけながら伝えていくことができなくなってしまいます。

自分を表現できないというモヤモヤを抱え、モヤモヤ部分の中心には表現したがっている自己がありますので、主張しようとすると「自分、自分」になってしまい、やや幼児的になります。これでは周囲に受け入れられませんから摩擦まさつが起きます。

親は子どもに「適切な量の不満」を残しておこう

斎藤学『「毒親」って言うな!』(扶桑社)
斎藤学『「毒親」って言うな!』(扶桑社)

そう考えてみると、子どもの欲求を完全に充足しようという親の野心は逆効果。いつもグズったり不満があったり、たまには与えられるけど何か欲求不満が残る、そんな適切な量の不満を自分で解決していくことで自己が育ち、人格が育っていくのです。

トラウマとなるような危険な体験は、健全な自己の発達を阻害そがいします。けれども不満や逆風がなさすぎても自己が発達しない。では、“適切な量の不満”とか“まぁまぁの不満”とは、どんなものかという問いは無意味です。

胎児たいじの状態から脱して以来、人間は常に欲求不満の中にあり、それを緩和かんわしようとするさまざまな試みを強いられているのですから。で、そうしたアヒルの水かきのような水面下での努力と忍耐の中から、「自分らしさ」ないし「パーソナリティ(人格)」が生じてくるのです。

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