ポール・マッカートニーは1966年、ビートルズのメンバーとして初めて日本を訪れた。1998年、当時の様子を本人に直接インタビューしたノンフィクション作家の野地秩嘉さんは「わたしの英語は拙かったが、ポールはわたしが聞こうとしていることを100%理解していた」と振り返る――。(後編/全2回)
日本武道館でのコンサートにはのべ3万5000人警察官が動員され、会場内には240人の消防隊員が配置された。前代未聞の警備だった。
『ビートルズを呼んだ男』より
日本武道館でのコンサートにはのべ3万5000人警察官が動員され、会場内には240人の消防隊員が配置された。前代未聞の警備だった。

日本のお土産に着物を買って帰った

(前編からつづく)

——日本公演で滞在したホテルはいかがでしたか?

【ポール】ほとんどホテルの中にいたよ、外出することができなかったから。警察はぼくたちが出かけるのを嫌がっていたからね。だからずっとホテルにいたよ。ぼくらは、えーと、買い物をした。お店の人が(ホテルの部屋に)来たんだよ、だからキモノとかいろいろ、イギリスへ持って帰るお土産を買った。

日本公演を担当したタツ(永島達司、キョードー東京創業者)に「キモノ見せてもらえる?」って頼むと、いいですよと言って、お店の人たちが(着物を)持ってきてくれた。ぼくらは「これとこれをください」と。

——私はホテルのフロント係にも会いました。彼らはあなたのことを覚えていました。

【ポール】それがビートルズだ。みんな忘れない。人生で一度きりの体験だからね。ぼくたちにとっては毎日のことだけれど。でもファンはほぼ間違いなく覚えている。

——1966年のツアーでビートルズのメンバーはコンサートツアーをやめようと思っていたのですか。

【ポール】音楽を作ることはエンジョイしていた。音楽をエンジョイしていた。そのころレコーディングをするのが楽しくなってきて。1年後にはコンサート活動をやめて「サージェント・ペパーズ(・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド)」をレコーディングしたからね。それが本当にやりたかったことだった。

「ひどい!」と感じたニューヨークの警察

【ポール】画家が自作の絵の展覧会をしてばかりいるか、それとも家にこもって絵を描くかのチョイスがあるようにね。アーティストなら絵を描くことのほうを望むんだ、本当は。コンサートをたくさんやって世界中を駆け回って、ひとつやふたつの不愉快な経験をすると特にね……。

マニラではいい思いをしなかったな。あんまり好きじゃなかったな。ちょっとぼくたちにはクレージーすぎた。最初ぼくたちはイギリスのやり方に慣れていた。もっと有名になるとアメリカのやり方に慣れてきた。びっくりすることはたくさんあったよ。例えば、ニューヨークに行った時、警察が「金を払えば警備をしてやる」って言っているのを耳にしたんだ。

なんてことだ! ひどい! 汚職じゃないか! と思ったよ。なぜならイギリスでは警備にお金を払う必要はないからね。でもニューヨークではお金がかかるんだ!

でも、言ってみれば彼らはビジネスマンなんだよ。ブライアン(マネージャー)が警官と真剣に話し込んでいたからどうしたんだって聞くと、向こうがいくら欲しいか話し合っていたそうなんだ。でもそれにも慣れたよ。珍しい出来事だったけど次第に慣れたよ。