高齢者のコロナ死は「寿命」と捉えるべき

ここまで述べてきたような日本人のいびつな死生観については、本当にこの2年間でほとほと呆れ果ててしまった。

私の76歳になる両親は、20年以上前から「自分に何かあっても延命治療は不要」と言っていた。その理由は「どうせ人間はいつか必ず死ぬ。そのときが来たら、人はみな死から逃れられない。だから、科学の力で無理矢理生かす必要はない。私らはもう十分生きたし、アンタと由香(姉)も残したから、とくに悔いはない」というものだった。

だから私は、人工呼吸器や胃ろうといった延命治療について、意識を失った両親に施すかどうかを医師から尋ねられたら「このままでいいです。何もしないでください」とお願いするつもりだ。そして自分も「植物状態になった場合、延命治療は不要」と折りに触れて妻に伝えている。

少し前のデータになるが、東京都のモニタリング会議が2021年4月に公表した資料によると、2020年11月1日~2021年3月31日の期間に新型コロナウイルスで亡くなった人の平均年齢は82.2歳である。さらに、亡くなった人の大多数は70代以上の高齢者だ。この数字を見て「寿命が来た」と捉えるのがまっとうだと、私は思う。だが、多くの人は「とにかくコロナが怖い」という思考が先立つせいか、日本人の平均寿命が女性は87.74歳、男性が81.64歳(どちらも2021年7月、厚労省発表)ということを念頭に置かず、ただ恐怖感しか抱かない。

人間の致死率は100%

作家の村上春樹氏は『ノルウェイの森』のなかで「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」と主人公のワタナベに言わせた。これこそが真理なのだ。「死」を人生最大の恐怖と捉える人にとって、ワタナベのこの発言はなかなか理解できないかもしれないが、死は人生を構成する出来事のひとつとして、誰のもとにも必ず訪れる。

人間は致死率100%

断言するが、これが真実である。一切の異論は許さない。

死産の形でこの世に生まれ落ちることもあるし、暴走する自動車に轢かれて亡くなることもある。自殺、他殺、事故、自然災害などさまざまな理由で人は死ぬ。もしかしたら「人肉が宇宙一おいしい」と考えている異星人が突如地球を襲来し、人類が全員殺されることだって将来的にはあるかもしれない(コロナ騒動があまりにアホ過ぎるので、こちらもアホなたとえをしてみた)。