OB訪問で出会った学生は白血病で亡くなった

そしてもうひとつ、どうしても忘れられない「死」の記憶がある。会社員時代、私のもとにOB訪問でやってきた学生だ。会った瞬間「あ、この人はわが社に合っている」と判断し、「キミのこと、オレは通すよ。きちんと人事に推薦しておく。あとは、面接対策について考えよう」という流れになった。小柄でシュッとしたイケメンであり、酒と麻雀が強い彼はトントン拍子で面接を駆け上がっていった。その都度、彼は律儀に「通りました!」と連絡をくれた。そして最終面接の日、彼から電話が来た。

「どうしたの?」
「なんか、最終面接ってハンコが必要らしくて……。うっかり忘れてしまったのですが、中川さん、ハンコを貸してもらえますか?」

そう、彼の苗字は私と同じ「中川」だったのだ。残念ながら最終面接で落ちてしまったのだが、一方で大手総合商社の内定を見事獲得。その後、私が会社を辞めるあたり、OB訪問で出会った元学生の有志たちが送別会をセッティングしたくれた際にも、彼は他社の社員でありながら全力で参加してくれた。

彼のことを聞いたのは、それから7年後だった。白血病で亡くなっていたというのだ。商社に入社した2001年の秋に病が発覚し、以後は入退院を何度か繰り返して2008年にこの世を去った。訃報を耳にして私はすぐに彼の両親に電話をかけ、ある土曜の夕方、彼の家へと出向いた。位牌に手を合わせた後、彼の大好きだったビールをごちそうになったときの光景は、いまでも鮮明に覚えている。彼の生きた証しは、とにかく明るい闘病ブログで現在も読むことができる。

そろそろ建前論はやめにしよう

かくして「死」を「生の一部」として受け入れてきた私は、この約2年にもおよぶ新型コロナ騒動にどうしても同調することができないのだ。人はいつか必ず死を迎え、大地や海へと還る。その後どうなるかは、誰もわからない――これしかないのだ。

それなのに「とにかく命こそ大事である」「そのためには、あらゆる犠牲を払っても構わない」という考え方を徹底したばかりに、自殺者が激増してしまったとは、なんたる皮肉であろうか。しかも、自死を選択しているのは「寿命」と捉えても構わない高齢者ではなく、主に将来ある若者や働き盛りの中年層なのだから。

いまの日本では、上記の一段落でさえ批判の対象になってしまうのだろう。だが、そろそろ建前論はやめにしないか? 社会に絶対的に必要なのは、若き人々による活力なのだ。高齢者はすでに青春を謳歌し、社会に出てさまざまな場面で活躍をして、無事にリタイアを迎えた人々が多い。その貢献を軽んじる気はさらさらない。ただ、もう十分生きたではないか。次の世代に社会を、そして命をつなぐという役割を果たしたのだから、後は若い世代に道を譲ればよいのだ。社会のあらゆる局面において「世代交代」は必要不可欠なサイクルである。