3行の統合は持株会社方式とされ、当初は持株会社であるみずほホールディングスの傘下に、第一勧銀、富士銀、興銀の3行がぶら下がる形態が採られた。歴史も企業文化も規模も異なる大手銀行、しかも3行が統合することは容易なことではない。「行内で使われる用語そのものが違っていた」(みずほ銀行OB)ほどだった。

しかし、悠長に時間をかけられない課題もあった。システムの統合である。銀行は装置産業である。3行のシステムが併存したままでは、コスト面をはじめ統合効果は望めない。システム統合は焦眉の急となっていた。だが、具体的にどの銀行のシステムにサヤ寄せするかは難題だった。

基幹を司る勘定系システムは第一勧銀が富士通、富士銀が日本IBM、興銀が日立製作所製であった。銀行同様にシステムを担うベンダーも日本を代表するコンピューターメーカー、主導権争いは熾烈を極めた。いずれの銀行のコンピューターメーカーが勘定系システムを握るかは、銀行の主導権争いの写し鏡の様相を呈した。

統合当日からATM停止、二重引き落とし…

議論の末、みずほのメインフレームである勘定系システムは富士通製に決まる。第一勧銀が法的な存続会社としてみずほ銀行が発足したこともあるが、「第一勧銀は不良債権の重みが少なく、統合では主導権を握れる立場にあった」(みずほ銀行元役員)だったことも影響した。みずほは、都銀2行を主軸とする「商業銀行」優位の銀行としてスタートしたと言っていい。

しかし、みずほ銀行のシステムは統合当日に大規模システム障害を起こす。3行のコンピュータをつなぐリレーコンピュータでバグが生じATMが停止、預入不能となり、振込操作もできなくなった。口座自動振替では二重引き落としも生じた。未処理は1日だけで10万5000件に達し、その後数日にわたり障害は続いた。みずほ銀行はスタート時点からシステムに祟られたようなものだ。

このシステム障害には、富士通製を核に3行のリレーコンピュータで結ぶシステム運用と、3行を個人、中堅・中小企業取引を対象とするみずほ銀行と、大企業取引を対象とするみずほコーポレート銀行という2行に再編する組織変更が同時に行われたことによる無理があったと指摘された。バックアップも効かず、想定の甘さによる人災の色彩が濃かった。