大手企業で深夜まで働いていた20代
【白河】もとは浜松で大企業のITの下請け業務であるSIer(エスアイヤー)で長時間労働が多く、ハードな働き方の企業だったとうかがっています。しかし今は働きやすい環境で女性が8割。その大転換の秘密をうかがいたいと思ってまいりました。最初に、御社の創業の経緯を教えていただけますか?
【小川】私は20代の頃は東京にいて、大手電機メーカーに勤務していました。当時は長時間労働が常態化し、23時や24時まで仕事をするのは当たり前。働かない上層部のおじさんたちを見上げながら、モヤモヤした気持ちを抱えて5年くらい働いていました。
このままじゃいけないと思ったとき、どうせなら極端に生活を変えようと、地元の浜松に戻ってベンチャー企業に就職したんです。でも、ビジネスモデルにしても働き方にしても、やっぱり自分が思い描いていた形とは落差があって。それなら自分たちで新しい事業を始めようと、現取締役の小田木朝子、中原昌幸と一緒にノキオを立ち上げました。それが2011年のことです。
【白河】創業された当初は、地元企業のweb開発などを請け負っていたそうですね。
【小川】その通りです。最初はとにかくキャッシュが必要だったので、いわゆる大手の請負的な開発の仕事から始めたのですが、いったんそれで回り出すとなかなか脱却できないんですよね。静岡では「受注側は発注側の要望に応えて当然」というような風潮も強かったので、受注し続けるには長時間労働もせざるを得ませんでした。それが2年ほど続いて、あるときふと気づいたんです。「こういうことがやりたいんじゃなかったよね」と。
「脱下請け宣言」で大赤字を出した
【白河】起業したものの、結局は過酷な働き方をしないと受注が取れないという悪循環に陥っていたわけですね。そこからどう脱却していかれたのでしょうか。
【小川】2013年ごろから、下請けの仕事と並行して新規事業の種まきをしようと、育休中の女性のためのキャリア支援プログラム「育勉セミナー」などの新しいプロジェクトを2〜3本走らせ始めました。続いて翌年には「脱下請け宣言」をして、大手企業との取引見直しに着手しました。「下請けなんだからこちらの要望を聞いて当然」という姿勢のお客様とは仕事をしない、なぜなら自分たちが疲弊するだけだからと社内外に宣言したんです。取引先に一生懸命説明して、常駐していたメンバーを引き上げたりもしました。当然業績は落ち、大赤字も出しましたが、長期的には会社の成長につながるはずと信じていました。