「精神医学で診断がつく病気」は自殺の「原因」になるとは限らない

さて、このような日本自殺予防学会という仰々しい名前を冠した、自殺予防を専門とする学会のトップという、言わば権威中の権威が「早めの治療開始が一番の予防方法」と言っているのだから、それは科学的にも正しいことに違いないと多くの人が信じてしまうことでしょう。

実は、この専門家の主張には「論理の飛躍」「誤った(少なくとも読者に誤解を与える)情報」「省略された重要な情報」がいくつも含まれています。

そもそも亡くなった人を直接診察してもいないのに診断できるのかという疑問がありますが、自殺者の97%が「精神医学で診断がつく病気」というのがたとえ事実だったとしても、ただちにそれが自殺の「原因」になるとは限りません。

なぜなら、結果として精神医学的診断がつくような症状が現れるくらいにまで重圧に追い込まれた人が自殺している、という解釈もできるからです。相関関係があったとしてもそれがただちに因果関係に当たるとは言えません。たとえば、自殺した若者の9割がSNSを利用していたという事実があったとしても、SNSが若者の自殺の原因であるとは限らないのと同じです。

パソコンの前でうなだれる人
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「自殺者の97%は精神医学的診断がつく病気」→「病気の治療をすれば自殺は防げる」という論法には著しい論理の飛躍があります。相関関係を因果関係と決めつける飛躍に加え、治療が成果を出すとは限らないという現実を完全に無視した飛躍があるのです。

もしも、張医師の言葉が正しいのであれば、早期に治療につながった人の自殺は食い止められ、治療を受けていなかった人が自殺をしているはずです。ところが、自殺した人の多くは、むしろ既に精神科で治療を受けていたことがさまざまな調査で判明しています。さらには、張医師が意図的に「病気」と表現することにも問題があります。なぜならば、それらは正確には「病気」ではないからです。

精神医学的診断は通常の「病気」の概念とは別物

精神医学は他の身体医学と決定的に異なり、生物学的指標をもとに客観的に診断する手法は存在せず(一見すると科学的、客観的に見える光トポグラフィーなどの診断補助はあるが、定義された診断名と合致できる判定をすることなど不可能)、「病気(disease)」とは異なる“disorder”という概念を持ち出して診断名をつけることになっています。disorderは「障害」と翻訳されていますが、その訳語は不適切です。本来は正常な状態から外れているくらいの意味合いであって、「症」と訳すのが適切ではないかという議論があります。

つまり、精神医学的診断は通常の「病気」の概念とは別物なのです。無論、張医師は一般的な意味であえて「病気」という分かりやすい言葉を用いた可能性はありますが、その言葉から一般の人は、脳などに異常があって病院にかかって薬などを用いて治療すべき状態を思い浮かべるでしょう。それは誤解を与える表現です。