2009年、彼は「ハチ」と名乗り、ボカロPとして初音ミクを使ったオリジナル楽曲をニコニコ動画に投稿する。「結ンデ開イテ羅刹ト骸」という曲をきっかけに注目を集め、続く「マトリョシカ」や「パンダヒーロー」などの人気曲を経て、その名は当時のボーカロイドシーンに一気に知れ渡った。無名のクリエイターが創作の輪を広げていた00年代後半のニコニコ動画やボーカロイドシーンを、米津は自分の“故郷”だと語っている。

そこは新しく生まれた遊び場で、別に将来のことも考えず、みんなでただひたすら無邪気にやってるだけの空間だった。混沌としていて、刺激的で、すごく魅力的だったんですね。そこで得たものは計り知れないし、実際に自分の音楽のキャリアはそこで始まっている。稀有な土壌だったと思います。(『Yahoo!ニュース特集』インタビュー、2017年10月30日公開)

マイクとヘッドセット
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「昔から、自分のことを怪獣だと思っていた」

ただ、彼はその場所にはとどまらなかった。

2012年にはアルバム『diorama』をリリースし、本名の「米津玄師」名義でシンガーソングライターとしての活動を開始。2013年にはシングル『サンタマリア』でメジャーデビュー。2014年には初めてライブを行う。少しずつステップを踏みながら、彼はJ-POPのメインストリームへと歩みを進め、キャリアを重ねていった。

ポップソングを作るということは、その頃から目指していたことだった。アルバム『YANKEE』(2014年)リリース時の取材にて彼はこう語っている。

コンビニで買い物をするときのように、自分が好きなものしか手に取らないし、なんとなく耳に入ってきた話題のものしか手に取らない人。そういう人にも届いていくような力を持ったものがポップスだと思います。で、自分としてもそういうものを作りたいと思うんです。(『音楽ナタリー』2014年4月23日公開)

なぜ彼はその道を進もうと思ったのか。

アルバム『Bremen』(2015年)リリース時のインタビューで米津は「昔から、自分のことを怪獣だと思っていた」と語っている(cakes「米津玄師、心論。」2015年12月30日公開)。幼稚園のときに唇に大きな怪我を負ったときの、周囲から異物を見るような視線を浴びた記憶が強く残っているという。少年時代も、決して“みんな”の中に馴染めるようなタイプではなかった。むしろ疎外感と鬱屈を抱え、自分にとってのヒーローのようなバンドに救われるような思いを抱えながら育ってきた。