打って変わって大手のスポンサーを次々と獲得

ディズニー映画もそうだったように、最初の成功が悪い流れを断ち切ってくれた。メインストリートには「カーネーション・アイスクリーム・パーラー」「コカ・コーラ・リフレッシュメント・コーナー」「マックスウェル・ハウス・コーヒー・ショップ」といった各企業による店が並ぶことになった。

ホールマークの出店はなかったが、別のグリーティング・カード制作会社であるギブソンが参入した。1932年にドゥーリン一家がサンアントニオのガレージで創業し、50もの工場を持つ企業へと成長していたフリートスは、フロンティアランドにメキシコ料理の店「カサ・デ・フリートス」を出店することになった。

年間賃借料は、メインストリートなら1平方フィート(約930平方センチ)あたり20ドル、その他のエリアなら15ドルだった。建物の設計はウォルトの会社WEDが手を貸すこともできたが、建設費や営業開始後の人件費は出資者の負担だった。

ディズニーランドで使用するアルミ材料に自社製品を採用することを条件に、カイザー・アルミニウムが年間3万7500ドルで出資することも決まった。トランス・ワールド航空とリッチフィールド・オイルは年間4万5000ドルで、コダックは2万8000ドルでそれぞれ年間契約を締結した。ほとんどが5年間の賃貸契約で、契約初年と最終年の賃貸料は契約時に支払われた。

1950年代のディズニーランド・パーク
写真=iStock.com/Jorge Villalba
※写真はイメージです

ツナサンド販売を巡って競争も

さらに、医薬品製造会社アップジョンも年間3万7720ドルの賃貸料で契約し、雰囲気を盛り上げることになる。アップジョンは、WEDのスタッフが作成した「1900年代風の薬局」の企画を歴史的に不正確だとして却下し、独自に建築家を雇った。そして店が営業を始めた際には、ストライプのシャツにアームバンドをつけた本物の薬剤師を、ふたりも店頭に立たせるという徹底ぶりだった。

来場者に手渡すパンフレットにも、こう書かれている。「この薬局は、ディズニーランドに19世紀のリアリズムを添えています。薬品から調度品、設備に至るまで当時のものを展示した、非常に精巧な博物館でもあるのです。1000点を超えるアンティークの品々は、アップジョン社のスタッフが全米各地を回り、オークションや、屋根裏部屋、歴史ある薬局、ディーラーや歴史家たちから集めたものです。ショーケース、ファン、カウンターなどの設備は、専門家によって設計され、忠実に複製されています」

スターキストとチキン・オブ・ザ・シーの2社の間で、どちらが園内でツナサンドイッチを販売するかで揉めるという出来事もあった。結局、ウッドが最初に声をかけたチキン・オブ・ザ・シーがその権利を手にすることになった。

名だたる企業と契約を結ぶ一方で、ウッドは中小企業にも接触していった。ロサンゼルスのハリウッド・マックスウェル・ブラジャー・カンパニーはメインストリートに下着の店を出店し、「ブラの魔法使い」という機械仕掛けの魔法使いを案内役に、ブラジャーの歴史を追ったディスプレイを展開した。