マクドナルド1号店出店のチャンスは逃した
そしてついに、鉄道会社AT&SFもディズニーの提案を受け入れて、年間5万ドルで契約した。サンタフェの名は欠かせないシンボルとして、このファンタジーの新世界に刻まれたのだ。さらに、蒸気機関車2台のうち、1台にはAT&SFの創業者であるサイラス・クルツ・ホリデーにちなんで「C・K・ホリデー」、もう1台には、1895年の再編後に初代社長となったエドワード・ペイソン・リプリーにちなんで「E・P・リプリー」と名づけることになった。
スポンサー探しが軌道に乗りはじめた頃、ウォルトは1通の手紙を受け取る。「親愛なるウォルトあなたに連絡をするならこの方法しかないと思い、ずうずうしくも手紙をお送りした次第です。わたしはレイ・A・クロックと申します。先ほど、マクドナルドの全米フランチャイズ権を獲得しました。そこで貴殿が開発中のディズニーランドにおいて、マクドナルドにも出店のチャンスがあるかをお伺いしたいのです」
ウォルトはクロックに、手紙を担当者のC・V・ウッドに預けたことを知らせる、心のこもった返事を送った。だが、ウッドは動こうとせず、クロックはディズニーランド開業の3カ月前、イリノイ州のデスプレーンズにマクドナルドのフランチャイズ1号店を出店したのだった。
20世紀産業界の巨人であるディズニーランドとマクドナルドが、手を携えてスタートできなかったのは、今思えば残念だったといえるだろう。